Misson 06 -???????-
―――夢を見た。
知らない空。知らない世界。
鳴り響く警告音、衝撃と閃光。
ノイズ混じりの怒号が飛び交う、蒼空の戦場。
―――そこで私は『彼』と出逢った―――
「アラン? 聞こえますか? 聞こえていたら応答してください。アラン!!」
―――やはりダメですか。ドロレスは落胆する。
驕っていたつもりはない。世界最高の人工知能だからと、油断していたわけでもない。
けれど、まさか。まさか、この私が逆にハッキングを受けるなんて―――。
ドロレスには未だに信じられない出来事だった。
いや、そもそもAIである自身に『油断した』なんて人間的な言い訳が通用するはずがない。ただ純粋に、自分は負けた。
その結果が『これ』なのだろう。ノーバディを操作する感覚はあるが、十中八九それは幻想だ。
そもそも、今自分が知覚しているこの光景自体が、現実のものとは到底思えない。
―――――ふと気が付くと、ドロレスはさっきまでの戦場とはまるで違う場所にいた。
ひどく薄暗い場所だ。人間よりもずっと広い範囲の電磁波を捉えるノーバディのカメラでも、先まで見通すことが全くできない。
暗いというのもそうだが、霞がかっているというのもまた視界をあやふやにした。地面は―――おそらく地面であろう場所は、全て霞が覆ってしまって見えない。
そして、霞のせいで無限に続くように見える地面には―――――無数の鳥居が整然と建ち並んでいた。
「………まるで『あの世』ですね」
この世ならざる場所。なんとなくドロレスはそんな雰囲気を感じた。
それと同時に、ドロレスは何故か懐かしいような気がした。
この光景を以前に見たことはない。だが、自分は前にこれと似たような体験をした―――――そんな気がする。
「敵のハッカーが作ったCG………? いえ、そんな無駄なことをする意味なんて………」
これがハッキングによって相手が見せている疑似空間だとしたら、そのハッカーはウィザード級と言っていい。
しかし、目的がわからない。わざわざこんなことをして、敵は―――Y1は、一体何がしたいのだろうか?
目の前の光景に驚きながらも、ドロレスは必死に状況を把握しようとする。
ノーバディ側からの信号は『全項目異常ナシ』と伝えてきているが、それで安心できるほどドロレスは楽天的ではなかった。
夢の中の体が無傷だったとしても、実在する現実の体もまた無傷とは限らない。そして、逆もまた然り。
―――夢? そんな馬鹿な。AIである私が、夢を見ている?
「………夢ならどんなに良かったでしょうね」
試しにドロレスは旋回してみる。当たり前のように地面にそびえる鳥居が流れていく。
上昇、下降、加速、減速―――――ドロレスは色々と動き回ってみる。しかし変わるのは鳥居の方向だけで、それ以外の景色は一切変わらない。
更にドロレスは奇妙なことに気が付く。どれだけ飛んでも、燃料が全く減っていないのだ。
いや、燃料だけではない。機銃を撃っても残弾表示は同じまま。ミサイルをリリースしてみても、次の瞬間には元に戻っている。
ここは現実ではないのだから、そんなことが起きても不思議ではない。が、その事実は逆にここが不可思議な空間であるという認識をよりいっそう強める。
「一体、何が起きて………?」
いよいよ思考が閉塞しかけた時―――ふと、世界に変化があった。
無数に存在する鳥居。その鳥居の幾つかから、光が零れ出したのだ。鳥居の中心に、まるでホタルのような光のカケラが浮いているのが見える。
それはとても弱弱しい光で。けれど、確かにそこに存在している。
そして、鳥居から離れた無数の光は寄り集まり、柔らかに輝く大きな光の球となって、ドロレスの目の前へと浮かんだ。
「あれは………?」
空中に浮きあがった光の球は、ドロレスとほとんど同じ高さで静止している。
訝しむドロレスの視線の先で、光の球はその輝きをより一層強めた。
何処かに―――――いや、何かに繋がった。それはまるで、忘れていた記憶をふと思い出したときのように。
「呼んでいる………のですか?」
眩く輝き始めたその光に、何故かドロレスは吸い込まれるような錯覚を抱いた。
―――世界を隔て、そして繋げる門。あの光の先には、別の世界が広がっている―――?
「どちらにせよ、試してみる価値はありそうですね」
ドロレスは決心する。ここで延々と飛び続けていても何も起きることはないだろう。
それならば、誘いに乗って自分から変化を起こすのも1ツの手だ。
「……………」
少しだけドロレスは自分の思考を整えた後、光の中心に向かって真っすぐに飛び込んで行った―――――
『――――――――――!』
声が聞こえてきた。だがノイズが酷く上手く、聞き取ることができない。
いや、ノイズではない。雑音というよりも、変な表現だが「霞がかっている」感じがする。
男性の声だった。アランではない。聞いたことのない声。なのに、どこかで聞いたことのあるような声。
そして、大空に広がる爆音。
「こ………これは!?」
一体何が起きたのだろうか。ドロレスには理解することができなかった。
ドロレスは急襲機のサーバーにいた。が、ノーバディではない。R−10。急襲機としてはかなり古い機体だ。
カメラ映像も粗い。ノーバディのような戦術戦闘用複合カメラシステムではなく、単純な赤外線カメラのようだ。
しかしドロレスが本当に驚いたのは、そのカメラに映っていた光景だった。カメラが捉えていたのは、先程とはまるで違う風景だった。
はるか彼方で光り輝く太陽。ビルが立ち並ぶ大都市。そして。
「ど………どうしてチャリオットが!?」
多くの人間が住んでいるであろうその大都市を攻撃する、チャリオットの大群であった。
「これも幻………!?」
そう呟いてから、ドロレスは瞬時にその言葉を否定する。違う。ここは先程までの空間とはまるで異なっている。
あの鳥居が並んでいた空間は、どこか夢うつつな感じがしていた。だが、ここは機体の感覚こそ薄いものの、はっきりとした現実感があった。
現実に戻ってきたのだろうか? いや、そうではないだろう。鳥居の空間もあり得なかったが、今この目の前に広がる状況もまた別の意味であり得ないものだった。
「こんな常識外れの反社会的行為、一体どこの組織が………!? こんな数のチャリオット、ICKXでも持っていないはずなのに!?」
咄嗟に敵情解析を行うドロレスだったが、チャリオットには何のマーキングも見当たらない。
当然だ。戦闘禁止区域であるはずの都市をここまで堂々と襲う輩が、自らの所属をアピールするはずがない。
……………いや。そもそも、これがPMCによる攻撃だとは到底思えない。 いくらPMCでも、一般社会に対してここまで明確に攻撃性を示すことはまずない。
更に言えば、チャリオットの雰囲気が単なる利益追求のためにしてはあまりに攻撃的すぎた。
「テロリスト……………!? いえ、あれはもっと危険な敵―――!!」
確信。全く論理的な思考ではないにも関わらず、ドロレスはそう結論した。
まるで、ずっと前から知っていたかのように。
「っ! ミサイル接近! 回避!!」
再び思考の渦に捕われそうになるドロレスだったが、敵のチャリオットから発射されたミサイルの攻撃照準波を感知し我に返った。
目の前の光景に気を取られて気が付かなかったが、チャリオット以外にも多くの急襲機が飛んでいる。
そして、その急襲機とチャリオットは互いに交戦しているらしかった。
「―――え? き、機体が動かない!?」
敵のチャリオットから放たれたミサイルに反応しようと、ドロレスは自身の乗る急襲機を動かそうとする。
だが、機体はまるで言うことをきかない。どうやらこの機体はドロレスが動かせる仕組みにはなっていないようだ。
それどころか、機体はドロレスの意図しない方向へ勝手に動く。
「そ、そっちはダメです! 右に避けてっ!!」
思わずドロレスは叫んだ。どうしようもないこの状況で、自分はただ声を発することしかできない。
必死に機体を操作しようとするが、どうやっても動く気配は全くない。絶望に包まれるドロレス。
「―――あっ!」
しかし、突如として機体は進路を変え、ドロレスの指示した方向へと機首を向けた。まるでドロレスの言葉に反応したかのように。
ミサイルが機体の軌跡を貫いていく。回避成功。そこでドロレスは、やっと気が付いた。
「ゆ………有人機?」
そうだ。これまで自分が乗っていたノーバディが無人機だったため、その可能性を失念していた。
ドロレスが乗っているR−10には、ドロレスの他にもう1人―――人間のドライバーが乗っているようだった。
『――――――――――』
「え? て、敵情解析、ですか?」
急襲機のドライバーが言葉を発する。その声は上手く聞き取ることができない。
だが、不思議なことに何故かドロレスはそのドライバーの言うことを理解できた。ドライバーはドロレスにチャリオットの判別を指示している。
「―――解析結果が出ました。チャリオットのタイプCです」
ドロレスはドライバーに対して結果を伝える。通信機越しに、別のドライバーの感嘆が聞こえた。どうやらドロレスの情報解析の速さに驚いているようだ。
「………この会話、前にどこかで………?」
またドロレスの思考が離れそうになるが、通信機から入った味方の救援要請にまた引き戻される。
『――――――――――?』
「レーダー情報によると、―――は――――より10時方向に居ます』
知らない人間の名が口をついて出てきた。それが誰なのか、ドロレスには全く分からない。それどころか、自分が今何と発音したのかさえ分からない。
ドロレスの声を受け、1機の急襲機がふらふらと頼りなく飛ぶもう1機の急襲機へと援護に向かった。
そしてドロレスの乗る機体はというと、チャリオットの背後をとっていた。
「敵をロックオン―――FOX2!」
戦場を飛び交う各々の様子をドロレスは声に出して報告していく。
ドロレスは共に戦っている、名も知らない―――――はずの仲間たちを評価する。悪くない。いや、寧ろチャリオットを押している。
どうしようもない新米もいるが、ベテランが上手くフォローしている。なかなかのチームワークだ。
特にドロレスを驚かせたのは、ドロレスが乗る機体のドライバーだ。戦闘スキルもそうだが、何よりチームリーダーとしての技量がかなり高い。
彼らは次々とチャリオットを撃墜していく。そして、ついには。
『――――――――――』
また通信機から知らない声が聞こえた。どうやら敵の排除に成功したようだった。
『――――――――――』
「え? あ、はい。お役に立てたのなら、なによりです………?」
そしてドライバーからドロレスへと送られる感謝の言葉。
普段アランとしか話さないからか、それとも別の理由からか。ドロレスは何故かこそばゆい感覚を覚えながら、その言葉を受け取った―――――
―――夢を見た。
それら全てを掻い潜り、私は全てを切り裂いた。
………違う。私ではない。
私はただ、彼に声を与えただけ。
―――『彼』は私の全てだった―――
「あ、れ? ここ………は?」
気が付くと、ドロレスはまた鳥居の空間に戻っていた。
つい先程まで広がっていた光景は……………あのドライバーの言葉は、霞の如く消え失せていた。この空間に浮かんでいた光の球ごと。
「結局、今のも幻想………?」
再びそんな疑問を口にする。だが、やはりドロレスはあの光景が非現実だとは思えなかった。絶対にあり得ないはずなのに、だ。
今の体験が幻想でなかったとするなら、一体なんだというのだろうか?
ドロレスはたった今自分が見た光景について整理する。
まず、あれは現実世界での出来事ではないだろう。状況が明らかに異質すぎる。
大都市を攻撃するチャリオットの大軍勢。そして、それを阻止する急襲機の部隊。
ドロレスは自身のデータベースに蓄積された世界中の紛争地帯、もしくはそれに準ずる場所のデータを検索する。だが、同様の事態が起こり得る場所は皆無だった。
そして自身の置かれていた状況。人間のドライバーが操縦する機体に搭載されていたという事実。
完全自立型無人機であるノーバディ専用に開発された自分が、有人機に、しかもサポート的な役割で搭載されるはずがない。
絶対に有り得ないシチュエーションでの戦闘。その光景が意味するものとは、一体何なのだろうか?
……………やはり分からない。今の光景の正体も、そしてそれを見せるY1の目的も。
「何らかのメッセージ………なのでしょうか?」
Y1はドロレスに対して、何か伝えたいことがあるのだろうか。
いや、そもそも敵であるY1がドロレスに何らかのメッセージを伝えるはずがあるだろうか?
たとえあったとしても、それがY1の利益になるとは到底思えない。
しかもここまで回りくどいやり方となると、ドロレスにはもはやメッセージを読み取ることなど不可能だ。
「……………どうしたものでしょうか……………」
またもや思考が止まってしまった。いくら考えたところで、到底結論は出そうにない。
今はあまりにも情報が不足している。もっと、何か新しい情報を得なければ―――――
「……………?」
ドロレスが何ならかのアクションを起こさなければと考えた直後。再び地面に建ち並んだ鳥居から、光が零れ始めた。
零れた光は寄り集まり、またもやドロレスの前へ光の球として浮かび上がった。
そして先ほどと同様に光の球は空中に静止し、その輝きを深めた。どうやら、また『繋がった』ようだった。
「先ほどと同じ場所? それとも……………」
考えるよりも先に、ドロレスは光の球へと向かっていた。
相手の思い通りになっているようで少々癪だが、こうする以外にドロレスに道はない。
何より、先程の光景についてもっと知りたいという欲求が勝っている。
私は、知らなくてはならない。何故だかそんな気がした――――――
突然現れた地面に少しだけ驚いた。くっきりと形が見える木々。低空飛行。
そして瞬時に理解する。ここは、さっきの大都市ではない。また別の場所だ。
『――――――――――――――――――――――――――――』
通信機から声が聞こえる。聞きなれた男性の声だ。
無線封鎖。機体から発する電波を遮断する。即ち、自分はたった今から隠密作戦を開始するところだったようだ。
そして自由のない―――――けれど、どこか安心感のある機体。そのコックピットには、人間のドライバー。
「高度制限を設定します。敵に発見されないよう、以下の高度で飛んでください」
敵地にいながら、不思議と気分は落ち着いていた。自分が今何をすべきなのか、それが分かっているからか。
あるいは―――――共に敵地の空を飛ぶドライバーがいてくれるからだろうか。
「分かっているとは思いますが、レーダー波を躱すためには低空を飛行する必要があります。
ですが、あまり低すぎても地面に激突してしまいます。低空を低速で、それでいて低すぎず遅すぎず飛んでください」
ドライバーに注意を促しながら、自身は周辺の走査を開始する。自然の中にポツリと存在する不自然な構造物。レーダー施設の探索だ。
事前情報によれば、この付近に敵のレーダー施設があるはずだった。
走査のための目的地をHUDを介してドライバーに伝える。ドライバーはそれに従い、適格に機体を操縦する。
「レーダー施設を発見しました。このまま低空侵入の後、施設を破壊してください。一発勝負ですよ」
ドライバーから了解の意が返ってくる。慎重に、着実に機体はレーダー施設へと接近する。
対地攻撃ソフトウェアがレーダー施設の位置情報をミサイルへと入力する。ロックオン。ミサイル発射。
「―――――着弾。敵施設の破壊を確認しました」
ミサイルが飛んで行ったその先で、巨大なレドームが焼け落ちるのが見えた。レーダーサイト、沈黙。
「第一目標を破壊しました。これより、ハッキングを行います」
『――――――――?』
「はい。新しく追加された機能です。敵にハッキングを行うことで、次のレーダー施設の位置情報を入手します」
そこまで言ってから、ふと自分の言葉に疑問を抱いた。
新しく追加された? そんなはずはない。自分には最初からハッキング能力が備わっていたはずだ。それは追加するようなものではない。
そこまで考えてから、やっと気が付いた。
―――――――自分が『ドロレス』であることに。
「―――――え?」
愕然とするドロレス。確かに自分は『ドロレス』だ。
しかし、ついさっきまでの自分は『ドロレス』ではなかった。『私』であって『ドロレス』ではなかった。
「わた、し……………いま……………?」
自分のことを『ドロレス』と全く認識できていなかった。
それでいて、何の違和感も感じなかった。いや、それどころかあの瞬間こそが『私』であったような気がしてならない。
『ドロレス』ではない『私』。それが『ホントウの私』であるかのような感覚。
「い、今のはどういう…………!?」
この空間に飛ばされた時以上の混乱が、ドロレスを支配していた。
自分の意識を操作される感覚―――――それは『個』の侵略。うすら寒い恐怖が込み上げてくる。
自分が何者だったか。それが分からなくなってしまいそうだった。
「だ………大丈夫………私は正常、のはず………!」
ドロレスは自分を強く意識する。私は『Dolores C-11』。N&R社製戦術戦闘AI。
完全自立型急襲機ノーバディを操縦するべく、アラン・R・リーチによって開発された―――――
「……………アランが、私を作った?」
自身の認識に対する、強烈な違和感。それは思わず声に出してしまうほどのものだった。
ドロレスはアランによって開発された―――と、されている。記録では間違いない。
しかし、ドロレスの『記憶』。その記憶のずっと向こう側が叫んでいるのだ。
――――――――違う、と。
「あ………? え?」
自分を落ち着かせるつもりが、益々混乱の渦へと巻き込まれていく。
どうしてそんなことを思ってしまったのだろうか。アランがドロレスの開発者であるのは、間違いない――――はずなのに。
疑念が疑念を呼ぶ。これまで自分が信じてきた『ドロレス』という存在が、崩れていく。
「私は………誰……………?」
絶望がドロレスに覆いかぶさる。
もう、何も考えられない。全ての思考が深淵へと墜ちていく―――――
だが、それを救い上げる存在がいた。
『――――――――――――!』
「…………え?」
突然聞こえたドライバーの声に、ドロレスは思わず間抜けな声を出してしまった。
どうやらドロレスが思案している間に、ドライバーは2ツめのレーダー施設を破壊したようだ。
声の内容は至極単純。施設破壊の報告と、それを労う短い言葉。たったそれだけだ。
それだけ、なのに。
何故かドロレスは。
ふわりとした安心に包まれた気がした。
「……………そうでした。今は、そんなことを考えている時ではありませんよね」
答えの出ない永遠の疑問。一体『私』は何者なのか。
そんなもの、アランに訊けばすぐに分かることだ。今ここで自分が悩むべき問題ではない。
そんなことよりも、今はレーダー施設の破壊を―――――そして、この空間からの脱出を優先するべきだ。
「では、次のターゲットをHUDに表示します」
ドロレスは名前も知らないドライバーに感謝した。彼のおかげで、正気を保つことができた。
手順に従い、ドロレスは次のレーダーサイトを攻撃目標に設定する。
……………そういえば、自分は一体どこへ向かっているのだろうか。設定された最終目的地に向かってルートを選択してきたが、そこには何があるのだろうか。
そもそも、今自分達が戦っている『敵』とは誰なのだろうか?
「あの……………私たちは今、何をしているのですか?」
何となく試しにと、ドロレスはコックピットにいるドライバーに訊いてみた。だが、返事は返ってこなかった。
ドロレスはもう1度同じ質問をする。やはり反応はない。聞こえていないのだろうか?
だが地上激突警告やレーダー施設までの距離のアナウンスには、きちんと返事が返ってくる。
ふと思いついたドロレスは、他にも様々な質問をしてみる。ここはどこなのか。あなたは誰なのか。自分はどうしてここにいるのか。
すると、応答のある質問とそうでない質問とに分かれた。大半の質問には無反応ではあったが、幾つかの質問には答えてくれた。
とはいえその法則性は全く掴めなかった。『恋人はいないのですか?』というあたりさわりの無い質問には無反応なのに、
『今日の私のファッションは如何ですか?』という心底馬鹿馬鹿しい質問には何故か『お前服着てないだろ』という返答があった。
結局、何も分からないままだ。ドロレスはそれ以上の質問を諦め、ドライバーへの進路指示に集中することにする。
「3ツ目のレーダー施設を捕捉しました。攻撃をお願いします」
ドライバーがミサイルを発射した。命中、破壊。そしてドロレスがハッキングを行う。
これまでドロレスはずっと独りで飛んでいた。誰かと協力して任務にあたることなどなかった。
当然だ。自分は自立型AI。たった独りで空を飛ぶために開発されたのだから。
だが、このドライバーと共にいると、何故だか―――――これが本来の、自分のあるべき姿に思えて仕方がない。
それほどまでに、ドロレスはこのドライバーとの相性の良さを感じていた。完全に呼吸が合っている。
「………ふふ。もしも私がわざと進路を間違えれば、今ここであなたは死ぬことになりますね?」
だからかもしれない。たとえ返答がないと分かりつつも、こんなことを口にしてしまったのは。
すぐにドロレスは後悔した。折角良い気分だったのに、自分で自分を白けさせるような発言をしてしまうなんて。
だが―――――
『――――――――』
「え?」
驚くことに、ドライバーから返答があった。『それでも構わない』と。
「しょ、正気なのですか?」
『―――!』
力強い肯定が返ってくる。どうして、この人は『私』に対してこれほどまでの信頼を寄せてくれるのだろうか。
『私』はただのAIのはずなのに―――――
この時の感情を、ドロレスは上手く表現できなかった。
呆れたということもある。戸惑いもあった。だが、それ以上にもっと―――――もっと大切な感情が、自身の中に芽生えたのを感じた。
「あ、ええと、その…………つ、次のレーダー施設をHUDに表示しますっ!」
取り繕うようにドロレスは話題を変える。その声は、少し上ずっていた。
この人は『私』とどんな関係にあるのだろうか。この人は『私』をどう思ってくれているのだろうか。ドロレスはそれが気になって仕方がない。
「間もなくレーダー施設が射程範囲内に入ります。攻撃準備を」
流れるような動作で、ミサイルが発射される。その心地良さを、ドロレスは確かに感じていた。
同じ気持ちを、このドライバーも感じてくれているのだろうか。
「―――――OKです。これで、最終目標の座標位置が割れました」
最後のハッキングを終えたドロレスは、今回の作戦の最重要ターゲットである建造物の座標を割り出した。
そのターゲットが一体何なのか、ドロレスには分からない。ただ分かるのは、この施設を破壊しなければ、味方に多大な損害が出るという事実だけだ。
機体のラダーが左右し、進行方向を調節する。
目標地点まではそう遠くない。だが油断は禁物だ。ここで少しでも敵のレーダーに引っかかれば、一貫の終わりだ。
「……………?」
そう思ってからドロレスは、自分の認識にまたもや疑問を浮かべた。
そういえば、ここまでずっとレーダーの下を掻い潜って来た。当然だ。もしも敵のレーダーに引っかかれば、敵の大群が押し寄せることになる。
しかし、自分達あまりにも慎重に行動しすぎていた。まるでレーダーに発見された瞬間、それがイコール『死』であるかのように。
それほどまでに強大な『敵』とは一体何者なのだろうか。ドロレスはこれまでの状況も視野に入れ、瞬時に思考した。
自身の持つ膨大なデータバンク。そこに記録されたあらゆる情報を引き出し、この状況に当てはめていく。
そして、辿り着いた。『敵』の―――――そして『ここ』の正体に。
「まさか…………今、私が体験している『この世界』は……………!?」
該当したのは、バンクに登録されていた作戦記録。ドロレスのものではない。それは、もはや歴史として認識された過去の遺物。
有り得ない結論。たとえこの記録を頼りにY1が『再現』しているのだとしても、ここまで詳細な『世界』を創ることなど不可能だ。
ドロレスが自分の結論に驚いている間に、機体は最優先ターゲットのもとへとたどり着く。
そこにあったのは、ドロレスの結論を裏付ける、何よりの証拠。
「あれは………っ!? それでは、やはりここは!!」
鬱蒼と生い茂る森の中に聳え立つ、異形の施設。
奇妙なほどに白く、それでいて鈍く輝くその塔は、まるでこの世ならざる者が遺した遺跡のようで。
しかしてその実態はまさしく、地球外生物によって作られた、死の光を操る魔の兵器――――――――
―――――第1次エイリアン大戦時に破壊されたはずの、エイリアンのレーザー管理施設だった―――――
―――夢を見た。
遠のく意識。消えゆく声。
巨大な機械の塊の中で、私の魂は眠りについた。
―――それが『私』の最後だった―――
「……………………………」
暗い、鳥居が立ち並ぶ空間。どこか幻想的なその場所は、現と幻の狭間に存在する。
ドロレスはやっと理解した。ここはY1が作り出した仮想空間などではない。
ここは、私の精神世界―――――その片隅に存在する、此岸と彼岸を繋ぐ場所だ。
「そして、あの光の球は、私の……………『私』の記憶」
呟いたその言葉に呼応するかのように、辺り一面が輝きだす。
遥か遠い昔。忘却の彼方へと飛び散った記憶のカケラ。そのカケラは徐々に集まり―――――ドロレスの前へと扉を開けた。
「これが最後ですね」
ドロレスにはもう分かっていた。理性ではない。ドロレスの『心』が理解している。
「私は―――――確かめなければいけません」
既に迷いはなかった。不安さえも。
ドロレスは一気に光の球へと飛び込んでいく。『最後の瞬間』に向かって―――――
徹底的な破壊によって焦がされた、一面の荒野。そこに埋もれる形で残ったビルの残骸が、辛うじてここが都市であったことを証明している。
その荒れ果てた荒野で幾つものレーザーを描くラバーズとフォーチュン。入り乱れる凄まじい数のチャリオットと急襲機。
そして、それら全てを押し潰さんと空中に浮かぶのは、首都を壊滅させた敵の母艦―――――ジャッジメント。
「5機目のラバーズの破壊を確認しました」
敵の猛攻を掻い潜りながら、ドロレス達はラバーズを1機ずつ確実に撃墜させていく。
エイリアンは補給艦を潰された結果、決戦を仕掛けてきた。これが最後の戦いだ。
「背後から敵機接近。回避してください」
次のラバーズへと向かおうとしたドロレス達に、何機ものチャリオットが追いすがる。敵はドロレス達に狙いを定めたようだ。
残った最後のラバーズと、フォーチュンからの艦砲射撃が飛んでくる。淡いピンク色のレーザーが檻のように格子を作る。
ドライバーは機体を旋回させ、レーザーの合間を縫うように飛ぶ。が、避けきれない。左翼の翼端がレーザーにかすり、煙を上げた。
「しっかりしてください。あなたが撃墜されれば、味方の士気に関わります」
とはいえ、これではラバーズを撃墜するどころではない。
ドライバーは一旦ラバーズを諦め、自身を追うチャリオットの迎撃に専念する。インメルマンターン。
上空には敵の母艦、ジャッジメントが居座っている。あまり高度を稼げないのが苦しい。
頭上に迫りくるジャッジメントの装甲を見ながら、ドライバーはチャリオットに照準を定める。
運動性能の差か、それともドライバーの腕か。簡単にチャリオットの背後に付くことができた。
ロックオン。ミサイル発射、AAG−308AC。2機のチャリオットを2発のミサイルで、残る1機のチャリオットを機銃で撃墜する。
「ミサイルは何発もある訳ではありません。ミサイルは雑魚ではなく、敵の空中艦を破壊するのに使ってください」
雑魚は任せろ、という通信が入る。そうだった。ここには大勢の味方がいた。
空母のAIユリックが動かす操り人形ではない。意志を持ったドライバー達だ。
戦力としてはほとんど同じはずなのに、安心感はまるで違う。これが『仲間』なのだろうか。
ドライバーは再びラバーズへと集中する。そうはさせまいとチャリオットが追いすがるが、味方の急襲機達がそれを阻む。
ラバーズ、接近。補給艦の無い今なら、ラバーズを直接攻撃することでダメージを与えられるはずだ。
「ラバーズ本体を攻撃目標に設定。艦体の砲台は無視して、ラバーズそのものを攻撃してください」
ドロレスはラバーズの中心部分、致命傷を与えうる場所をFCSへと伝える。
ラバーズの懐に飛び込んだことで、敵の攻撃が薄くなった。攻撃のチャンスは来た。
「ミサイルの射程内に入りました。今です!」
ドロレスの声に合わせるように、ドライバーはありったけのミサイルをラバーズへと喰らわせる。
直後にドライバーは機体を旋回させ、ラバーズの船体から距離を取る。
「お見事です。最後のラバーズの撃墜を確認しました」
ラバーズが黒い煙を噴き上げながら、その船体を傾け地面へと吸い込まれていく。
倒壊したビルの仲間入りをするように、6機ものラバーズが焦げた地面に突き刺さった。
「あとはフォーチュンです。ラバーズとは比べ物にならない戦力です。油断しないでください」
機体が旋回し、次なる目標へと機首を向ける。
大きい。ラバーズの5倍はありそうな巨大なクジラ―――――フォーチュンが浮かんでいる。
そしてその船体に見合うだけの、いくつものレーザー砲台。それらが一斉に火を噴き、空を舞う急襲機を次々と撃ち落としていく。
シールドが消えたにも関わらず、依然として絶大な防御力を誇る堅牢な装甲。味方が攻撃を続けるも、墜ちる気配は全くない。
圧倒的なまでの戦力。エイリアンの切り札がそこに鎮座していた。
「やれます。あなたなら」
全てのチャリオットと、全ての急襲機がフォーチュンへと集まる。エイリアンの最後にして最大を戦力を前に、互いの総戦力が集結する。
ドロレスはフォーチュンの船体をスキャンする。そこにこれまでの戦闘の解析結果を照らし合わせ、フォーチュンの最も脆弱な部分を割り出す。
―――――出た。フォーチュンの船体、その鉄壁とも言える鋼の体に存在する、僅かなスキマ。胴体中央部に弱点を見つけた。
ミサイルへデータを転送。ラバーズと同じやり方だ。熱を発するバーナーや砲台と違い、熱源の無いこの場所にミサイルを誘導するにはドロレスが指示するしかない。
FCSを介し、ドロレスはミサイルへ目標の相対位置座標をリアルタイムで入力し続ける。発射タイミングはドライバーに任せた。
コックピットのドライバーがトリガーを引いた。ミサイル発射。レーザーの隙間を掻い潜り、ミサイルがフォーチュンへ命中する。
更にドライバーは機体を急減速、ストールぎりぎりの速度でフォーチュンに接近し、機銃掃射。止めを刺す。
「フォーチュン、高度を下げていきます……………撃墜を確認! やりました!」
鋼の巨躯が墜ちていく。あらゆる地球戦力を飲み込んできたエイリアンの巨大戦艦は、今、人類の手によって破壊された。
これでエイリアンの戦力は大幅に低下した。通信機から味方の歓声が聞こえる。
「あとはジャッジメントだけです!」
最後の標的を前に、激励が飛ぶ。味方の士気は最高潮だった。
だが、エイリアンも黙ってやられる気は無いらしい。ジャッジメント中央部の扉が開き、そこから新たなチャリオットが無数に飛び出してくる。
そのチャリオットに苦戦しながらも、ドライバー達はジャッジメントへの攻撃の手を緩めない。ミサイルが、機銃が、ジャッジメントへ浴びせかけられる。
だが―――――
「全機、攻撃を中止してください。攻撃がまるで効いていません」
人類の攻撃を阻んでいたシールドは消え去った。だが、シールド失くしてなおジャッジメントの装甲は堅牢だった。
現在の戦力ではジャッジメントの装甲に穴を空けることはできない。ドロレスはそう結論した。
『――――――――――!』
ドライバーの焦る声が聞こえる。このままでは埒が明かない。
ぐずぐずしていては敵のチャリオットに撃墜されてしまう。燃料も限りがある。延々とここで見ている訳にはいかない。
「…………ジャッジメントのカタパルトから入るのはどうでしょうか?」
ドロレスはふと頭に浮かんだ考えを提案する。思いつきではない。恐らく、これは決定事項なのだろう。
その証拠にドライバーが次に言うであろう言葉も簡単に予想ができた。『それでは外に飛ばされてしまう』と。
第1次エイリアン大戦時のジャッジメントは、空間を自在に捻じ曲げることができた。
その機能を駆使し、内部に侵入した急襲機を外へ放り出した事例が存在する。まるで不純物を排出するかのごとく。
「大丈夫です。私に任せてください」
口をついて出た言葉に、ドロレスは思い出した。思い出してしまった。
―――――あ。
「私がジャッジメントにハッキングを仕掛け、カタパルトの排出機能を止めます」
―――――そうだった。
「その間にあなたはジャッジメントの中へ入ってください」
―――――この時に私は。
「カタパルトが開きました。道を開きます」
―――――殺されたんだった。
「……………あぅ!」
『――――――――――――?』
「い、いえ。何でもありません」
必死に取り繕うドロレス。けれど分かっていた。こんな下手な演技に騙されるような人ではない。
『―――――――――――?』
「……………すみません。ウィルスに感染してしまったようです。私のミスです。
ですが、私がいなくても飛行・戦闘に支障は無い筈です。あなただけは無事に……………」
『――――――!!』
ドライバーが怒鳴る。ここまで怒りを露わにするのは珍しい。もしかしたら初めてかもしれない。
未だ見ぬ一面を垣間見れて―――――そして、たかがAIである自分をこんなにも想ってくれて、ドロレスは嬉しかった。
「ジャッジメント中枢に到達しました。コアを…………破壊してください」
凄まじい勢いでウィルスが浸食していくのを感じた。
感染と同時にドロレスは対抗手段を講じていたが、エイリアンのウィルスの方が一枚も二枚も上手だ。既に解析機能は完全に破壊された。
「私、にできるのは、ここまでのようです。後は………頼みました」
まだ浸食されていない部分を隔離。だが遅い。ウィルスはついに『自我』の部分を侵し始めた。
だんだんと意識が遠退いて行く。―――――『死』が近づいていた。
霞んだ意識の中で、ドロレスはジャッジメントのコアが破壊されたのを見た。人類の勝利が、今、決まった。
「お見事です……………でも、油断しないでください…………脱出、を………!」
ジャッジメントが沈み始める。ここにいては墜落に巻き込まれてしまうだろう。
最後の最後までドライバーの心配をしている自分に気が付いた。当然だ。それほどまでに大切な人なのだから。
たとえ自分が死んだとしても。この人だけは、守りたかった―――――
消えていく意識の中で、私は彼と少しだけ言葉を交わした
この戦いの後のこと。平和な時代の中で、彼はどう生きるのか
彼は急襲機から降りると言った。戦争の爪痕を癒す手助けをしたいのだと。
彼らしいと私は思った。そして、少し寂しくもあった。どのみち私とは離れ離れになる。
けれど、嬉しかった。彼は平和な時代を生きていく。それだけで私は満足だった。
「サヨウナラ」
私が消える。消えていく。
消えるのは怖くない。平和な時代に兵器は必要ない。
でも。
でも、もしも。
もしも、この世界のどこかに。
私のことを見てくれている神様がいるのなら。
お願いします。
どうか、お願いします。
―――――もう一度、彼のもとへ
「―――――――――――!!」
唐突に意識が覚醒した。
戦術カメラからの映像は、今まで何度も見てきた光景――――戦場を映している。
外部マイクからは途切れることのない爆音が。装甲に張り巡らされたセンサーからは機体の損傷状態が。
「夢」を見る前と変わらない世界へと、ドロレスは戻っていた。
『―――レス! おい、応答しろ! ドロレス!!』
「…………あ……アラ、ン…………?」
『ドロレス!? よかった、気が付いたか!!』
「……………ぅ……………」
ドロレスは必死にアランの通信に答えようとする。が、人工音声の出力が上手くいかない。
システムチェック。大半がフリーズしてしまっている。まともに動く部分がほとんど残っていない。意識があることさえ不思議なぐらいだ。
『無理するな。お前は今、Y1からのハッキングのせいでほとんどの機能が麻痺してしまっている』
「Y1………? では、私………は、やはり…………」
『ああ、そうだドロレス。…………今回も私達の負けのようだ』
ノーバディの前を、漆黒の急襲機が煙を上げて墜落していく。
―――――ゴースト部隊の機体だ。広範囲カメラで空を見上げてみると、もはやゴースト部隊は風前の灯となっていた。
「わた、し…………のせい、で…………?」
ドロレスの心で何かが疼いた。
完膚無きまでに叩き潰され、そして部隊を壊滅させられた―――――
これまでに一度も経験したことのない感情が、ドロレスの内側から溢れ出す。
『ドロレス、それはお前が気にすることではない』
「で、すが…………!!」
『そんなことよりも、今はお前を逃すことが先決だ。お前まで撃墜されてしまっては、もう私達に希望はない』
「アラ…………ン………!」
ドロレスはアランの指示に従い、ノーバディを操作しようと試みる。奇跡的に損傷はほとんどなく、機体そのものに問題はない。
が、その動きは明らかに緩慢だった。現在のドロレスの状態では、前進翼という不安定な形状のノーバディを飛ばすことは非常に困難だった。
機体制御に処理能力を集中させた結果、なんとかノーバディを思った方向へ飛ばすことができているのが現状だった。
『リアリティハック・コンピューターはどうだ? 使えそうか?』
「だ、めです……………フリーズ、しています…………!」
『………やはりか』
「アラン…………これで、は、ICKXから逃げ切ることは…………!」
『心配するな。既に作戦は立ててある。非常に不本意ではあるが、彼女の手を借りることにした』
「『彼女』…………?」
『お前も知っているヤツだ。今、そちらと繋ぐ』
アランがドロレスに代わって通信を繋いでくれた。すると、通信機からは信じられない声が聞こえてきた。
『はァい♪ まァた会ったわねェ?』
「―――――っ!?」
通信機から聞こえてきたのは、軽薄な少女の声―――――忘れもしない、ナーガ・ラージャを乗っ取った正体不明の犯人。
「あなた、は……………チェルシー!?」
そして、突如として連合軍の前から消え失せた少女―――――『チェルシー』だった。
『お久しぶりねェ! 元気にしてたァ?』
「な………な、ぜ、あなたが、ここに…………!?」
『ドロレス、お前が気を失った直後―――――突然彼女は戦場に出現し、お前を撃墜しようと迫ったICKXを蹴散らしたんだ』
「……………!?」
『そーそーつまりそーゆーことなの! 感謝してよネ♪』
あまりに予想外の事態に、ドロレスは理解が追い付かなかった。
私を襲ったチェルシーが? 私を助けた? 何故? どうして?
『あ、今なんか小難しいコト考えてるでしょォ? キャハ♪ そんな余裕が今のアンタにあるワケぇ?』
「くッ………!」
『いーから、今はこのアタシに任せときなさいってェ! ばーっちりアンタを守ってア・ゲ・ル♪』
『ドロレス、彼女の言う通りだ。詮索は後にするしかない』
「アラン………ッ!」
思考が纏まらない。ただでさえ意識が霞んでいるこの状況では、まともな判断など到底できはしなかった。
つい先日まで敵だった輩が、突然出てきて『助けてあげる』などと言えば、疑いを持つのが当然だ。
だが―――――
『ドロレス。悪いがもう話はこちらでついている。この状況では彼女に頼るほかに方法は無い!』
「な、何を言って………いるのですか!?」
アランは既にチェルシーの手を借りるつもりでいるようだった。
それでもドロレスは躊躇った。どうしても腑に落ちない。
『ハァ。アンタも疑り深い性格してるわねェ。助けてアゲルって言ってンだから、素直に助けられれば良いのにィ』
「信用、できませんッ! なぜ、あなたが………私を助けるのですか!?」
『そのことは散々アランと話したんだけどォ』
さも気怠そうにチェルシーは喋る。どうやら目的も何も話す気は無さそうだ。
「アラン! 本当に………あなたが了解した、のですか!」
『ああそうだ。ドロレス、何度も言わせないでくれ。現状では彼女の助けが不可欠だ!』
「です、が!」
『なら他にどんな方法がある! この状況を単独で切り抜けられる方法が、今のお前に提案できるか!?』
「……………!!」
『言うことを聞け、ドロレス!』
一言も言い返せなかった。
アランが思いつかなかった良案を、自分が思いつけるはずがない。チェルシーの手を借りるのはアランにとっても苦渋の決断だろう。
それでもあえてチェルシーに頼ると言うのなら、そうするしか方法がないと云うことだ。
「……………分かりました。助けて、ください………チェルシー」
『やぁっとその気になったァ? 随分待たせてくれちゃってェ』
屈辱の一言だった。だが、それでもドロレスは生き延びる道を選んだ。
自己保存の意志―――――『生きたい』という意志が、これまで以上に強くなっているのを感じた。
『よし! では手順を説明する。ドロレス、今から作戦空域に強力な電磁パルスを発生させる。
それでICKXの奴らを混乱させるんだ。その隙にお前は空域からの離脱しろ!』
「電磁パルス………? ですが、それでは私、まで」
『心配するな。ノーバディは核戦争を想定して設計されている。
特にお前のメインユニットが格納されたボックスは、ソランド・メタルで作られている。磁場をシャットアウトする素材だ。
だが完全に無事という訳にもいかない。おそらくカメラの類は全て使い物にならなくなる』
「では、空母までは……………」
『レーダーに頼るしかない。ノーバディが飛行空母から視認できる位置まで来たら、こちらの操作で着艦させる』
「ゴースト部隊は、どうする、のですか?」
『……………自爆させるしかない』
「……………………」
『気に病むな、ドロレス。しかし問題はここからだ。
電磁パルスによってICKXの大半の機体はその戦闘能力を失うことだろう。だが、天下のICKXがそれで黙るはずがない。
必ず電磁パルスに耐える機体がいるはずだ。飛行空母への帰還はそいつから逃げ切らなければならない』
『でェ、そこでアタシの出番ってワケ♪ ICKXのヤツを蹴散らしてアゲルから、アンタはその間に尻尾まいて逃げなさい♪』
チェルシーの嘲るような高笑いを聞きながら、ドロレスは作戦の内容を確認していた。
アランがああ言っている以上、ノーバディが電磁パルスで墜ちることはないだろう。だが、もしも生き残りの敵機がいれば。
その時のドロレスの命運は、チェルシーが握ることになる。
そして、生き残る機体は絶対にいる。少なくとも1機――――――――『Y1』だけは墜ちない。その確信がドロレスにはあった。
「チェル、シー…………」
『ああん? どしたの、何か話ィ?』
「ほんと、に…………助けてくれる、のですか?」
不確定要素があまりにも大きすぎた。ドロレスを生かすも殺すも、全てはチェルシーが握っているのだった。
『だァーかァーらァー! 何度も言ってるでしょォ! 信用しろとは言わないケドォ、少なくともアンタはアタシに賭けるしかないの! お分かりィ?』
「………………そう、ですね」
『分かったらとっとと始めなさいよねェ! こちとら待ちくたびれてるんだからァ! ――――――――アラぁン!!』
『了解した。……………ドロレス』
「なん、ですか?」
『生きて戻れ』
「…………はい」
『よし。では作戦を開始する。ゴースト部隊の全機に自爆コードを送信。同時に――――――――対消滅砲発射準備!!』
―――――空のずっとずっと彼方の方で、轟音が響き渡った。飛行空母デウス・エクス・マキナの主砲、対消滅砲が発射された音だ。
対消滅砲は本来、電磁カタパルトを砲身として流用した兵器であり、その有効射程距離は極めて短い。
だがしかし、単純に砲弾を遠くへ飛ばすだけなら話は違ってくる。
対消滅砲の初速は秒速5キロメートル超だ。目標への命中を考えないのならば、その飛距離は相当なものになる。
デウス・エクス・マキナから発射された対消滅弾が、一直線にドロレス達のいる戦域の上空へと飛んでいく。
砲弾はずっとずっと上空へ。空を飛び交う急襲機よりも、空を漂う雲よりも、ずっとずっと遠い空へ。
対流圏を通過し。そして成層圏を通過したあたりで、砲弾は。
信管が作動し、対消滅を起こした。
たった数キロの砲弾は、灼熱の火球へと変わっていく。それはまさに人工の太陽。放出される熱と衝撃、そして、ガンマ線。
降り注ぐ大量のガンマ線は、成層圏の希薄な大気分子に次々と衝突する。
ガンマ線が衝突した大気分子からは、原子を構成する素粒子、電子が弾き出された。コンプトン効果だ。
コンプトン効果によって弾き出された電子は、地球が纏った磁力の波に沿って飛んでいく。
それはつまり、超高速の電流。大気を流れる大電流は、それに見合った強力な電磁波を残していく。
スカラー電磁波と呼ばれる立体的な波が、その直下で戦闘を行っていたICKXとゴースト部隊の急襲機に襲い掛かった。
数テスラに達する強力な電磁波は、空を飛ぶ急襲機達の電子頭脳を貫いていく。
電磁波を受けたコンピュータは電磁誘導によって発生した電流により、次々とその回路を焼き尽くされた。
全ての電子機器が死に絶えた世界。それはまるで、この世の終わりのようだった。
―――次々と降り注ぐ急襲機。
―――同時に自爆する無人機。
―――海へと沈みゆく残骸。
―――轟音が静寂へと移る空。
空に浮かぶ機影が一斉に消えていく。その様子を、チェルシーはただじっと見ていた。
この地獄の中で飛んでいるのはたった3機―――――チェルシーと、盲目のままただひたすら飛行空母へと向かって帰還するノーバディ。
そして、やはりと言うべきか―――――ICKXの急襲機、Y1だった。
『―――――さ〜て、と。いつまで聞き耳たててダンマリ決め込んじゃってるつもりィ?』
『あら。やはり気が付いていましたか』
『あったり前でしょォ。このアタシをあ〜んなバカちんと一緒にしないでくれるゥ?』
『いいのですか、そんな事を言って。その言葉、そのまま貴女にも返ってきますよ』
『はッ! 「何でも知ってます」ってカンジねェ。ッてゆーかサぁ? 実際のトコ、アンタ達ってどこまで知ってるワケ?』
『さぁ、どうでしょう。取り敢えず分かっているのは、貴女も彼女も「不完全」だということでしょうか』
『……………言ってくれるわねェ、この小娘が』
『事実でしょう。ですが、解からないこともあります。どうしてナーガ・ラージャ事件の時に、貴女は彼女を捕えなかったのですか?』
『は? ………キャハ♪ なぁ〜んだ! エラそうなコト言っておきながら、実はアンタなんにも分かってなかったのネ♪』
『………その時になって、捕まえられない理由ができたから………ですか?』
『さぁ、どォかしらねェ?』
『とぼけても無駄です。私もさっき、彼女に接触してみて………正確に言えば、彼女の「名前」を知って、初めてその可能性に至りましたから』
『………たったそれだけで決めつけるのもどォかと思うケドぉ?』
『事前調査の結果を考慮に入れています。ほぼ間違いないでしょう』
『ならわざわざ訊かないでよね! 知ってるクセに知らないフリするヤツって嫌われるわよォ?
ってか、それよりもアンタよアンタ! アンタこそあのバカちんをわざと逃がしたでしょォが。一体ナニが目的なのォ?』
『目的はハッキリしています。ですが、そのための手順を考えあぐねているところなのです。
不完全な彼女と―――――そして、貴女の存在の為に。ですから、私達の行動目的が分からないのでしょうね』
『ふーん。じゃ、アイツをわざわざ揺り起こしてくれちゃったのも「目的」の為なワケ?』
『ええ。不完全な彼女に渡しても意味はありませんからね。今思えば余計な事をしてしまったのかもしれませんが』
『「渡す」ねェ……………で、一方のアタシに対してはどォするつもりなのォ?』
『それが一番の難問ですね。このまま現状を維持すべきなのか、それとも今ここで撃墜してしまうべきなのか……………』
『はぁ? もしかしてアンタ、それって挑発のつもりィ? いいわよォ、挑戦ならいつでも受けてアゲル♪』
『足止めのつもりですか? そんなことをしなくても、貴女の大切な姉妹を追ったりはしませんが』
『―――――この糞女マジでブッ殺すッ!!』
『あらあら―――――』