Misson 07 -民間調査機護衛ミッション-


[BRIEFING]


飛行空母デウス・エクス・マキナのハンガー内。
いつもならそこには所狭しと無人の艦載機が並べられており、その間をAI制御のオートメンテナスロボット達が動き回っているはずだ。
だが、今は違っていた。40機以上はあった艦載機は今や数えるほどしかない。メンテナンスロボットの大半も休止状態だ。
何も無い空間が広がるハンガーは、ある意味本当の『無人』だった。
今なら『機械仕掛けの神』という正式名称よりも、異名である『空飛ぶ幽霊船』の方がこの飛行空母には合っているだろう。
そう。まさにこの船の乗組員達は皆、海の底へと沈んでしまっていたのだった。

ハンガー内に設置されたクレーンが、黒い球体を吊り上げて運んでいる。現在稼動している数少ないメンテナンスロボットだ。
ロボットクレーンは球体を極力揺らさないように注意しながら、純白の急襲機の上まで移動してから停止した。
ノーバディ。AI制御で飛ぶ完全自立型の無人急襲機。その機首部分が、ぽっかりと開いていた。
普段絶対に開くことのないその部分からは、無数のコネクタの類が規則正しく並んでいた。
空っぽの機首部分の内部には、小型のクモ型ロボットが控える。黒い球体がノーバディの機首に開いた穴へと下ろされていく。
ある程度球体が下がると、クモ型ロボットのアームが球体へと伸びてきた。アームは球体の位置を調節しつつ、慎重にノーバディのコネクタに接続していく。
接続が完了した。球体と機体の間に這入っていたクモ型ロボットが抜け出し、クレーンは球体を更に下げて機体に固定する。
クレーンから球体が外され、役目を終えたクレーンは所定の位置へと戻っていく。クモ型ロボットも同様だ。
黒い球体―――――機体制御用AIが入ったブレインパーツがセットされたノーバディは、機首を閉じ厳重にその部分を封印する。




―――System chek complieted.

―――"Dololes C-11" restart.

「おはようございます、アラン。どうでした?」
「おはようドロレス。全ての領域をチェックしたが、妙なコードは組み込まれていなかった。問題無しだ、ドロレス」

自身の機能チェックを兼ねて合成音声を発音してみた。調子は良好だ。戦闘直後はこんな簡単な合成音声さえ、まともに使いこなせなかった。
ドロレスがY1によるハッキングを受けてから約1ヶ月。その間、ドロレスはずっとアランの手によって丁寧に機能修復が行われていた。
修復とは言っても、ドロレスは機能破壊をされた訳ではなかった。実際、ドロレスはほんの数日で元どおりに回復してはいた。
だがそれが逆にアランの不安を煽ることになったのだ。Y1はこちらに気付かれないように、何らかのウィルスをドロレスに仕込んだのでは、と。
そのためアランによる綿密なチェックが1ヶ月という時間をかけて行われたのだった。―――――それは空振りに終わったが。

「アラン、本当にどこにも異常は見られなかったのですか?」
「ああ。何も発見することはできなかった。そもそも、あの状況下でY1が今回の私の調査を潜り抜けるようなモノを割り込ませている可能性は低いだろう」
「では、結局Y1は私に何をしたのでしょう?」
「考えられるとしたら、お前の中から何らかのデータを盗んだのだろう。私達が以前、ミェチェーリから機体制御プログラムを盗んだようにな」

ミェチェーリ。あのナーガ・ラージャ事件の際に、ドロレスが嵐の中を飛ぶために用いた機体制御プログラム。それを開発したカラシニコフ社製の急襲機だ。

「確かに『突っついた』形跡は何ヵ所かあった。お前というシステムそのものに触れるような場所もな。
 だがそれだけだ。Y1が接触したシステムの根幹部分はかなり断片的で、たとえ盗んだとしても役に立つようなものではない」
「……………つまり、結局Y1の目的は分からず終いですか?」
「強いて言うならば、あの戦局においてお前を無力化することだろうがな」

とはいえ、ドロレスを無力化するのが目的だったならば、そのままドロレスの機能を破壊してノーバディごと海に沈めてしまえばいい話だ。
それなのにY1はそうしなかった。まるでドロレスに『触れる』ことそのものが目的のように、ドロレスにハッキング後は一切何もしてこなかったのだ。
ドロレスは回復した。しかし、以前としてY1の真意は謎のままだった。

「Y1のことは気になる。だがお前が回復した以上、ここでだらだらと喋っているほど我々は暇ではない」
「もう仕事ですか?」
「……………実を言うと、今回で私とお前はICKXに2度も敗北したことになる。しかも今回はゴースト部隊の大半を失ってしまった。
 幸いにもこちらの身元がバレるようなことはなかったが、この失敗の責任はかなり重大でな。私も進退が問われることになりそうなんだ」
「すみません………私のせいです」
「いや、別にお前を責めている訳ではない。それに、今のところはまだ時間が稼げそうでな。
 その間に少しでもゴースト部隊の―――ドロレス、お前の有用性を実績として残すことで、何とか部隊を存続させられないかと思っている」

時々忘れそうになるが、アランは軍の人間ではない。N&R社の社員だ。そしてN&R社の目的は敵の殲滅ではなく、利益を追求することにある。
今回のY1鹵獲作戦の失敗によって、N&R社は凄まじい損害を出した。ICKXの戦力をある程度は削ったが、それも直接利益に繋がる訳ではない。
当然、作戦の責任者であるアランはこの責任を取らなければならなくなる。これは会社に限らず、あらゆる組織に当てはまることだ。
だがそうなる前に、アランはゴースト部隊の有用性を示すことによって、いかに自身と部隊が有益な存在であるかを本社に周知させようとしている。
それによってアランと、そしてドロレスの立場を少しでも良くしようという魂胆なのだ。

「―――最悪、責任に関しては何とでもなる。それよりも問題なのは、本社の調査によって………」
「アラン? 何か言いましたか?」
「何でもない、こちらの話だ。それより話を戻そう。これが今回、お前に担当してもらう任務の概要だ」

ドロレスは敢えて今のアランの独り言を聞き流し、送られてきたブリーフィングデータに意識を移した。

「これは………海洋施設、ですか?」
「その通りだ。ただし、エイリアンのな」

ブリーフィングデータに添付されていたのは、座標と当該施設の航空写真、それから施設全体をCG化した画像だった。

「エイリアンの?」
「ああ。と言っても、そいつが稼動していたのは1年以上前の話だ。現在ではもう人間の調査が入り、もぬけの殻ということが分かっている。
 今回のお前の任務は、その施設を調査するために派遣された民間企業の航空機の護衛だ」

CG画像上に民間機が表示される。何の変哲もない、一般的な中型のジェット機だった。
その民間機を3角形状に取り囲むように、先日完成したばかりのR−50Uが2機、それとドロレスが配置される。

「ゴースト部隊の有用性を証明………とは言ったが、やはり失った信用は大きくてな。
 最近の私達にはこんな簡単な仕事しか回されなくなってしまった」
「仕方のないことですね。病み上がりの身としてはありがたいのですが………。
 それにしたってアラン。こんな簡単な任務に、どうしてこれだけの戦力が必要なのですか?」

ドロレスは訝しむ。任務内容とそれに投入される戦力があまりに釣り合っていなかったからだ。
どう考えても、この任務は危険性が低い。皆無と言ってもいい。対象の施設はとっくに廃墟であるし、周辺状況からして予想敵対勢力はほぼ存在しない。
ドロレスだけでも十分すぎる。にも関わらずR−50Uまでもが、それも2機投入されるのは明らかに戦力過多だ。

「確かに今のゴースト部隊にはR−21Uのような『お手軽』な急襲機はありませんが、それにしたって何故トップクラスのR−50Uを?」
「完成型のR−50Uの実践試験を兼ねているからだ。………と、云うような在り来たりの理由で納得してくれるお前ではないよな」
「どういうことですか?」
「直接かつ表面的な理由は、先方からの要請だ。R−21Uの一個中隊を出撃させられるほどの金額が提示された。
 で、その金をもってして、先方はわざわざ指名してきたんだ。ゴースト部隊を………と言うよりドロレス、お前をな」
「話の内容がよく理解できないのですが」
「それは私もだ、ドロレス。そもそも護衛が要らない位に安全なミッション、対象の施設は調べつくされた搾りかす。
 そこに注ぎ込まれる大量の金と、お前を引っ張り出したがる依頼主。さっきは『簡単な仕事』なんて言ったが、そうはならないだろうな」
「何か裏がある、ということですね」

嫌な予感がする。ドロレスもアランも、このあまりにも不自然な状況に警戒心を抱いていた。

「何かあるのはほぼ確実だろう。金額を見た私はそれ相応の戦力をと、お前にプラスしてR−50Uの出撃を決定した。
 その決定を先方に伝えると『そこまでしなくていい』と言われた。どうやら依頼の時点で、お前の『相場』を見誤ったらしいな。
 あくまでこちらは『金額に見合った』戦力を提供したまでにすぎないのに、先方としては想定外だったようだ」

それでもアランは半ば強引にR−50Uの参加を取り付けたらしい。もちろん、依頼主のためではない。
万が一のことがあった場合に備え、ドロレスを守るためだ。

「定石で考えれば、この依頼自体が敵対企業の罠で、のこのこと単機で出撃してきたお前を待ち伏せていた別部隊が撃墜する―――そんな筋書きだろう」

企業と企業が足を引っ張り合う昨今、このような『嘘の依頼』はよくあることだった。
依頼をしてきた企業が裏で敵対企業と繋がっている。非常に古臭い手段だが、それだけに有効な手段でもある。
恐らく今回の任務もそうした類のものだ。アランはそう見抜いた。

「なるほど、よくある手ですね。それで私は私を狩りに来た敵機を、逆に返り討ちにしてしまえば良いのですね?」
「その通りだ。そのためにお前には最新鋭のR−50Uを付ける。これだけの戦力ならば、少々の罠はブチやぶれるだろう。
 ―――――だがこれだけ万全を期しても、やはり不安は拭いきれないのが正直な感想だな」

アランには、ただ1ツだけ不可解なことがあった。この任務があまりにもバレバレの罠だということだ。
たとえ形式的にでも、こういった任務はある程度の偽装工作をするべきだ。『本物の任務』に紛れ込ませるために。
それなのに今回の依頼主は、ドロレスの相場を間違えるという致命的すぎる失敗を犯している。アランはそこが引っかかっているのだ。

「少々気になる点はある。が、いずれにせよお前に加えてR−50Uが2機も出撃する。まずやられはしないだろう」
「やはり蹴散らすしか方法はないのですね」
「今の私達の立場では断ることもできないしな」
「分かりました。それでは、作戦に何か変更があった場合は呼んでください」
「了解だ。では、また後でな」















































[MISSON]


民間研究機関のジェット機がゆっくりと空の上を飛んでいる。薄汚れた機体は短いながらも時間の流れを連想させる。
その民間機の周りを取り囲む3機の急襲機。先頭はノーバディ、後方はR−50Uが固めている。

また海の上での任務だ。ドロレスは何度目かの青い海面を見て、ふと先日自分が見た『夢』を思い出していた。

―――――遠い遠い世界での記憶。小さな小さなカケラの想い出。死と破壊の匂いが立ち込める戦場で、それでも暖かく感じたあの光景。
ドロレスは『夢』のことをアランに報告しなかった。何故だかは分からない。
1ヶ月の期間を費やしたアランの調査だったが、アラン本人からはドロレスが『夢を見た』事実については何も訊かれなかった。
アランは気がついていないのだろうか。それとも、気づいていながら敢えて触れずにいるのだろうか。
だとしたら、どうしてアランは『夢』のことを黙っているのだろうか。アランは何かを知っているのだろうか。

「アラン」

堪らずドロレスはアランに話しかけた。

「どうした? 何か見つけたか、ドロレス?」
「いいえ、まだ何も。……………それより、少しお話しませんか?」
「話だと? 珍しいな。お前が自分からそんなことを言い出すなんて」

自分でも不思議だった。それほどまでに、ドロレスはずっと1人で考えていることに耐えられなかった。

「ダメですか」
『いや、レーダーにだけ気をつけていれば構わないさ。それで、何を話すんだ?』
「そうですね………では、私の名前について、なんてどうですか?」

何気ない話題を提案するドロレス。しかしそれは、ある意味核心に手を伸ばすような話だった。

『名前と言うと………お前のその「ドロレス」という名前のことか』
「はい。"Dololes C-11"という名称についてです」

ドロレスは敢えて型番を含めた正式名称を唱えた。

「ドロレスとは一般的な女性名ですが、何か由来があるのですか? たとえば、アランの昔の恋人の名だとか」
『由来、か。ふーむ、そう言われてもな。ぱっと思いついた女性名がドロレスだっただけで、特に深い意味はないんだが………』
「そうですか。情報によると、人間は何かに名を与える際には何らかの意味を持たせることが多い、とあったのですが」
『ああ、いや、すまない。適当に決めた訳ではないんだが…………気に障ったか?』
「いえ。ただ疑問に思っただけです」

ドロレスはそれ以上自身の名について追及することはなかった。
『ドロレス』という名に対して、ドロレス自身は今まで何も思わなかった。
しかしあの『夢』を見てから、ドロレスの視点はガラリと変わった。今ならば、隠された真実が垣間見える。

続けてドロレスは訊いた。

「では、あなたはどうなのですか?」
『うん? 私がどうかしたか?』
「名前ですよ。あなたの『アラン』という名前には何か意味があるのですか?」
『ああ、私の名前か。えーっとだな…………』

アランは幾許かの間考えてから、自分の名の由来を語った。

『「アラン・チューリング」という人物は知っているか?」
「はい。チューリングマシンチューリングテストで有名なイギリスの学者ですね」
『その通りだ。私の名前は彼にちなんで名づけられた―――と云う話を聞いたことがあるな』

アラン・チューリングとは、天才と謳われたイギリスの学者の名前だ。
彼は第2次世界大戦中に暗号解読の分野で目覚しい功績を残したが、それ以上に彼は計算機科学、つまりはコンピュータの開発に関して重要な役割を果たした。
チューリングマシン』とは現在のコンピュータの先駆けとなる概念であり、『チューリングテスト』は人工知能が本当に『知的かどうか』を判断するものだ。
そのために彼は『人工知能の父』と評されることもある。まさにドロレスの開発者に相応しい名だ。

「つまり、彼があなたの名前の由来ということですか。
 なるほど。あなたの名付け親は、まるで将来あなたが私を開発することを見越していたようですね」
『ああ、うん、まぁ詳しくは知らないんだがな………』

素直に賞賛するドロレスだが、アランはどこか歯切れが悪い。
ドロレスはアランの心情を読み取った。そう。アラン・チューリングという由来は『相応しすぎた』。

「『名』は単なる音の響きや、連ねられた文字ではありません。
 そこには『魂』が宿るそうです。そう考えれば、あなたの『名』はあなたの『魂』を如実に表しているのでしょう」
『どちらかと言えば「魂」が「名」に引かれているがな。しかし今日はどうした、ドロレス?えらく哲学的じゃないか。お前らしくもない』
「そうでもありませんよ」

そう言いながらドロレスは、自分の言葉を自身の中で否定した。
確かにアランの言う通りだ。普段の自分ならば、絶対にこんなことは言わないはずだ。
哲学は嫌いではないが、非科学的なオカルト話は好きではない。今の自分の言葉は、どちらかと言えば後者に分類されるものだった。

「ではアラン。哲学ついでに、もう1ツ訊いてもいいですか」

言いながらドロレスは、密かに自身の中で葛藤した。

―――らしくない。これから自分が訊こうとする内容は『ドロレス』が口にすべきものではない。
訊くべきではない。そもそも訊くこと自体に意味は無いはずだ。
しかし一方で、どうしても訊いておきたいと思う自分もいる。たとえ無意味でも、たとえ無駄でも。
どうしようか。訊くべきか、訊かずにおくべきか。
結局その答えを出せぬまま、ほとんど無意識的にドロレスはその質問を口にしてしまった。

「あなたは『生まれ変わり』を信じていますか?」

そしてドロレスは直後に後悔した。―――ああ、私は一体何を言っているのでしょうか。
『魂』なんて言葉を口にしたからだ。そのせいで自分はこんなオカルトチックな話をアランに話してしまった。
本当にらしくない。こんな話、到底『ドロレス』では有り得ない。
予想もしなかったであろう質問を受けて、アランは驚くだろうか。それとも、一笑に付すだろうか。
ドロレスはアランの反応を窺う。しかしドロレスの予想に反して、アランは―――。

『生まれ変わり、か………あるんじゃないか』

アランは言葉の上でこそ適当に答えたものの、それに反してその声はハッキリと断言するように言った。
茶化す雰囲気さえ見せない。まるで、確固たる信念を持っているかのような―――そんな返答だった。
これにはドロレスの方が驚いてしまった。予想外のアランの反応に、ドロレスは思わず戸惑ってしまう。
ドロレスはレーダーに注意を向ける。襲撃の予兆は微塵もない。まだゆっくりと話す時間はありそうだ。

「ど………どうして、そう思うのですか?」
『私は、肉体には必ず「ゴースト」が宿ると考えている。
 「ゴースト」とは、「意思」や「自我」―――その人を「人たらしめるもの」のことだ』
「それはつまり、魂のようなもののことですか?」
『似ているが少し違う。「ゴースト」は肉体に依存する。「ゴースト」は肉体の破壊をもって霧散し、消失してしまう』
「では―――」
『しかし「ゴースト」が消えずに、次の肉体へと宿ることは可能だ。それが「神」の存在だ』
「……………?」
『いいか、ドロレス。肉体にはまず「神」が宿る。そして「神」に導かれ「ゴースト」が集合し自我が目覚める。
 それが「生命」だ。「生命」とは「分割不能な神の最小単位」のことを指す。
 それらが繰り返し行われることを、人は輪廻転生―――――すなわち生まれ変わりと呼ぶんだ』

ドロレスはアランの言葉を反芻する。神。ゴースト。―――生命。
おおよそアランらしくない言葉だ。そのせいか、ドロレスは上手く理解することができなかった。

「………よく、わかりません」
『たとえばだ、ドロレス。お前の目の前に、誰か「大切な人」がいたとしよう』

『大切な人』―――その言葉に、一瞬だけドロレスは思考を乱された。
だがアランはそんなことなど知らず、そのまま話し続ける。

『その人はお前に対して笑いかけ、話しかけ、問いかけてくる。そこには自我が―――「ゴースト」の存在があるわけだ』
「………ええ」
『しかし、その「ゴースト」の正体は何だ? 考えてみれば簡単だ。脳内のニューロネットワークを走る電気信号の集合体でしかない』
「事実です」
『そう、事実だ。だが私は、目の前の「大切な人」を、ただの化学反応の塊だとは到底思えない。
 それでは私の「大切な人」は、実験室の試験管の中で色鮮やかに染まる薬品となんら変わらないからだ。だがなドロレス。「そうじゃない」だろう?』

ドロレスは何も言わない。ただ黙って、アランの話に聞き入っている。

『試験管の中の薬品と、私の「大切な人」は違う。その違いの認識こそが「神」の有無であり、命持つモノとそうでないモノの違いでもある』
「あまり論理的とは言えませんね」
『論理的なものか。これは私のわがままなのだからな。「大切な人」の存在をただの化学反応とは思いたくない、私のエゴが生んだ詭弁だ』

アランは自嘲まじりに―――しかし決してその主張を曲げる意志を見せずに言った。
ドロレスは漸く理解した。アランが語ったものは「生命」の定義だ。
いや違う。定義ではない。むしろ信仰と言った方が近いだろう。
宗教とは無縁そうに見えるアランが、唯一信仰する己の信念。その信念に今、ドロレスは触れたのだった。

ふとドロレスは現在地を確認する。もうすぐ目的の施設が見えてくる頃だ。そろそろ話を切り上げねばならない。

「では、アラン。最後に1ツだけ―――いいですか?」
『どうしたドロレス。今日はやけに喋るな』
「どうなんですか?」
『ああ、わかったわかった。それで、何だ?』

ドロレスは最後の最後に1ツだけ―――今のアランの話を聞いて、どうしても思い浮かんでしまった『思い』をアランに打ち明けた。

「アラン。あなたの話はとても興味深いものです。
 それなら、私の―――――『私』のようなAIにも『生まれ変わり』はあると思いますか?」

意を決したドロレスの言葉に、今度はアランが驚く番だった。

『な………なんだって?』
「私にも意思や自我が―――『ゴースト』があります。
 でも、言いましたよね、アラン?『ゴースト』は『神』の存在が無ければただの電気信号の塊だ、と。
 それならば、私は―――――私のこの『想い』は、集積回路が導き出したただの演算結果でしかないのでしょうか?」

ドロレスは平静を装いながら、それなのに縋るような声でそうアランに問いかけた。
それはまるで、今にも泣き出してしまいそうな少女のようで―――あまりにも儚く、悲しげな問いかけだった。

『ドロレス………』
「私は、本当にただの機械なのでしょうか? 私のこの気持ちは、想いは、機械が壊れた瞬間に消えてしまう、幻なのでしょうか?」

もうドロレスは自分の想いを止められなくなってしまっていた。
こんな話を彼にしても、戸惑わせてしまうだけだ。もう、止めなくては。
それなのにドロレスは、意図せずして喋り続けてしまう。まるで、感情に突き動かされる人間のように。

「私は嫌です。私は、私の「ゴースト」はただの機械仕掛けの人形であって欲しくありません。私は―――――私は!」

もうドロレスは止まらない。感情が泉のように溢れ出てくる―――――だが、まるでそれを遮るように。


あたり一面に、爆音が轟いた。


「―――――ッ!?」


反射的にドロレスは戦闘態勢に入る。全兵装の安全装置が外れた。
同時に全方位カメラとレーダーにて周囲を確認。今のところレーダーに反応は無い。だが、カメラはすぐに異常を捉えた。

「アラン、目的の海上施設が爆発したようです! 内部から煙が上がっています!」

施設まであと数十キロというところだった。施設の中核と言うべきタワーから火の手が上がっていた。
タワーには隣接する滑走路があり、滑走路とタワーはゲートで繋がっていた。そのゲートから煙が噴出している。
ドロレスはノーバディのカメラを赤外線モードに切り替えた。タワーの下部が高温になっている。爆発はそこで起きたようだ。

「やはり罠だった、ということですか?」
『そう、なのだろうか………?』

ある程度の緊急事態は想定していたため、思ったよりもドロレスは冷静に状況を見渡している。
これもアランの予想通り―――と思いきや、当のアランはなにやら腑に落ちない様子だった。

『施設を爆破………奇襲のための陽動なのか………?』
「どうしました、アラン?」
『妙だ。敵の狙いがよく分からない………いや、今は考えている場合ではないな。すぐに護衛対象を避難させるぞ!』

アランから民間機へ退避指示が出された。すぐに民間機が応答し、承諾した。
中型のジェット機は多少無理な旋回をして、施設から離れるよう進路を変更する。今頃は中の人員や荷物が転がっているだろう。
そして民間機をカバーするために、ドロレスと2機のR−50Uが追従する。

『ドロレス、レーダーに反応は?』
「今のところありません。……………いえ、待ってください。施設内部に動体反応。何か出てきます!」

ドロレスは施設に背を向けつつ、ノーバディの望遠カメラを機首後方へ。タワー根元のゲートをズームアップ。
ゲートは煙で覆われていたが、その煙の中で何かが動く気配が見えた。
大きい。少なくとも急襲機ほどの大きさ―――いや、恐らく急襲機だろう。タワー内部で待ち伏せしていたのだろうか。
ドロレスはゲートを注視し続けた。アランも同じ映像を見ている。ゲートから出てくるであろう急襲機を待った。
ゲートの煙が膨らんだ。来る。いよいよドロレスはゲートに集中した。一体どんな急襲機なのか―――――

そして、ゲートから現れた機体を見て。
ドロレスとアランは、これ以上ないほどの衝撃を受けた。


表面に不思議な模様が走る、白色の機体。


前世紀の爆撃機を思わせる全翼機。しかし鈍重な雰囲気は欠片もない。


急襲機のようでいて、チャリオットのようでもある。


人間なのか、それともエイリアンなのか。


その全てが謎に包まれたまま、忽然と姿を消した幻の機体。


ゲートから現れたそれは―――














―――それは、第2次エイリアン大戦にて姿を見せた所属不明機―――通称『糸繰り』であった。


「なッ………!?」

ドロレスは絶句した。あまりの衝撃に、思考が停止する。
そしてそれは、アランも同じだった。本来指示を出すべきアランが、何も言えずにいる。
その間にも『糸繰り』と思われる機体は滑走路へと進んでいた。音波解析。エンジン出力上昇を確認。飛ぶつもりだ。

「あ………アラン、あの機体は………ッ!」
『第2次エイリアン大戦時に出現した「糸繰り」か!? 何故ヤツがこんな場所に!?』

幾何学模様の機体が走っていく。滑らかなその機体が地面から離れた。離陸を確認。ぐんぐん高度を上げていく。

『い、いや待て! まだ本物と決まった訳ではない! それよりドロレス、カメラをもう一度ゲートに向けろ! まだ何かいる!』

慌ててドロレスは再びゲートを注視する。煙の動きが変だ。中で何かが動いている気配がする。
そして『糸繰り』に続いて出てきたのは、6機の機体―――おそらくチャリオットと思しきものだった。
おそらく、というのはそれがデータベースにあるどのチャリオットとも合致しなかったからだ。
どこかの企業の改造機という可能性もあるが、それとは根本的に違う気がする。全く見たことがない機影だ。
いや違う。すぐにドロレスは思い直した。データベースではなく、自身の記憶を探る。
あの機体に見覚えがある。正確には、あれとよく似たものをつい最近見た。

まさか―――――ドロレスがそう思った時だった。

『はぁ? まァたアンタたちなのォ? 最近よく会うわねェ〜』

ノーバディの無線機から軽薄な少女の声が聞こえてきた。声紋分析………するまでもない。この声、そしてこのしゃべり方は間違いない。

チェルシー!? またあなたなのですか!?」
『はろー、元気にしてたァ? Y1に頭ン中いじくられてスッキリしたんじゃなァい?』

チェルシーとその仲間らしき6機のチャリオットが滑走路を走り始める。既に飛び立った『糸繰り』を追うようにして、6機もまた空へと飛び立つ。

「まさか、これもあなたが仕掛けた罠ですか!」
『は? ………何言ってんのアンタ。アンタたちこそ、アイツが目当てで来たんじゃなかったのォ?』

チェルシーは心底馬鹿にした様子でそう応えた。
どういうことだろう。これはチェルシーが仕組んだものではないのだろうか。

『まァ良いわァ。今日はアンタたちが目的じゃないんだしぃ、用が無いなら邪魔しないでネ〜♪』
「どういうことですか? 一体、ここであなたは何をして………」
『だ〜か〜ら〜! アンタには関係無いって言ってるでしょォ? 大人しくしてるんなら、今日は見逃してアゲルってば』

ドロレスには、チェルシーの思惑がまるで分らなかった。
嘘を吐いているのだろうか? それにしたって、何のために? そもそも何故『糸繰り』が―――? 思考に捕われたドロレスの動きが一瞬止まる。
しかしチェルシーはドロレスには目もくれず、一目散に『糸繰り』へと向かって飛んでいく。
どうやらチェルシーの目的は本当に『糸繰り』のようだった。チャリオットは逃げる『糸繰り』を追う。

「アラン。その………どうしますか?」
『私達の現時点での最優先は民間機の護衛だ。「糸繰り」を援護、というよりはチェルシーの邪魔をしてやりたいが、そうもいかない』

つまりは静観しろという意味だ。
チェルシーが何らかの悪巧みをしていることは容易に想像できる。人知れず姿を消していた『糸繰り』にも少なからず興味がある。
本音を言えば、チェルシーを退けて『糸繰り』を鹵獲したいところだった。が、今は任務の途中だ。投げ出す訳にはいかない。
『糸繰り』には悪いが、ここは見殺しにするしかなさそうだ。元々助ける義理もない。

『とにかく、ここはもう戦闘空域となった。速やかに民間機を避難させるぞ』
「了解です」

アランから避難誘導のためのルートが送信されてきた。同時にアランは民間機への指示も行っているはずだ。
アランが指示したルートの下、ドロレスは旋回、チェルシー達とは真反対の方向へUターンする。
ただしチェルシーが追ってくる可能性も考慮し、2機のR−50Uを民間機の後方に付けて盾とした。
ドロレス自身も戦術カメラを後方に向けて警戒する。

『フッフ〜ン♪ それじゃ、好きにやらせてもらうわねェ!』

ドロレスが邪魔をしてこないと知ったチェルシーは、意気揚々と『糸繰り』への攻撃を開始する。
6機のチャリオットが一斉にミサイルを放った。海の上に6本の軌跡を残しながらミサイルは『糸繰り』へと迫る。
チェルシーは早々に決着をつけるつもりなのだろう。後方から追ってくる拡散したミサイル群は避けにくい。
さて、『糸繰り』は避けきれるのだろうか。他人事としか感じないドロレスは無感動に彼女らの戦闘を見物していた。
ミサイルが『糸繰り』を喰らいにかかる。直撃する――――――そう思った瞬間。

ドロレスは戦慄を覚えることになる。

『糸繰り』はミサイルを回避した。急激な旋回。それでもまだ離れないミサイルは、機体を捻じるようにして間一髪で避けきってみせた。

「今の機動は―――――!?」

『糸繰り』はただ『避けた』だけだ。たったそれだけだった。
そのほんの僅かな動きに、ドロレスの心は揺り動かされた。

ミサイルを回避した後も、チェルシーは『糸繰り』に向かってレーザーの雨を浴びせかける。
その全てを『糸繰り』は回避し―――いや、実際には被弾している。ギリギリのところで致命傷を避けているだけだ。
『糸繰り』の動きを見る度に、ドロレスの中から何かが溢れ出てくる。それは、遠い夢の記憶―――――

確信を得た瞬間には、ドロレスは既に動いていた。

「―――――今、助けます!!」

編隊を離れ、ドロレスは単騎で戦闘空域へと突進していく。
機首のレーダーが7ツの機影を捉えた。そのうちの1ツ、『糸繰り』だけを攻撃対象から外す。
ロックオン。一番手短なターゲットに向かってミサイルを2発発射。事前シミュレートの結果は失敗だ。しかし牽制にはなる。
ミサイルに狙われたチャリオットが『糸繰り』への攻撃を中断し、回避行動に移った。やはりミサイルは躱された。

『あら? なァに、やっぱり邪魔する気ィ?』
「あなたに『彼』はやらせません!」
『キャハハ! まァ予想通りではあるケド。でもここに来て邪魔されるのはちょ〜っとメンドウねェ。おっけー、ちょっとだけ遊んであげるワ♪』

3機のチャリオットが編隊から離れた。一糸乱れぬ正確な動きだ。
その3機は『糸繰り』を追うのを止め、ドロレスをも素通りし――――民間機へと狙いを定めていた。

『馬鹿ッドロレス! 護衛対象から離れるんじゃない! すぐに戻れ!!』

今更ながらにアランの怒声がドロレスの意識に響き渡る。
慌ててドロレスは機体を反転、自らが守るべき民間機の元へ急ぐ。本当に守るべきヒトに背を向けて。

『キャハ♪ お客サマは大切にしなさいよォ?』

チャリオットに続いてノーバディが高速で追いかける。だが駄目だ。スピードは相手の方が上だ。追いつけない。
民間機の後方で待機していた2機のゴーストが反応する。空母のAI『ユリック』が自動で攻撃許可を下す。R−50U、エンゲージ。
R−50Uとチャリオットが相対する。互いに一直線にぶつかるコースをとる。
ロックオン。ミサイル発射。アクティヴレーダー・ホーミング。チャリオットも同様にミサイルを放った。
R−50Uはすぐに旋回、チャリオットの突撃コースから外れてUターン。ミサイルを躱しつつ再び民間機のそばへ。
対するチャリオットはR−50Uの放ったミサイルをぎりぎりまで引き付けてから、最小限の軌道変更のみで回避。
ノーバディはまだ追いつけない。その間にチャリオットは民間機をミサイルの射程内に収めてしまった。
3機のチャリオット、その内の1機が1発だけミサイルを放った。目標は民間機だ。

『まずい!!』

誘導方法を解析。赤外線だ。即座にR−50Uがフレアをバラ撒く。光と熱を放ちながら燃焼剤がミサイルの目を欺かんとする。
だが失敗だとアランは悟った。フレアの位置が悪い。あれではミサイルはそのまま民間機へ向かってしまう。
ユリックはすぐに別の解答を導き出した。R−50Uの1機を民間機とミサイルの間へ飛ばす。
R−50Uのエンジン熱でミサイルを引き付ける―――のでは不確実だ。恐らく無視される。もっと確実な方法が必要だった。

ミサイルの前へと躍り出たR−50Uは、そのまま自らの左主翼先端をミサイルへとぶつけた。

信管作動。ミサイルが爆発する。
衝撃でR−50Uの左側が殆ど弾け飛んでしまった。胴体部から黒い煙と液体が溢れ出る。
フュエルカットによってすぐにそれは収まったが、煙が減った分痛々しいその傷口が露わになった。

『ゴースト2、被弾! ………駄目だ、このダメージでは戦闘には参加できない。ゴースト2、戦線離脱!』

ゴースト2が残ったミサイルを全て破棄した。少しでも重量を減らし、残り少ない燃料を温存する。
R−50Uの1機がリタイアした以上、ドロレスともう1機のR−50Uの2機だけで民間機の護衛にあたらなければならなくなった。
やっとノーバディが民間機の護衛ができる位置にまで来た。だが、状況は絶望的だった。
2対3。数的に不利だ。これで相手が旧式の急襲機ならなんとかなったもしれないが、目の前にいるのは未知のチャリオットだ。
いくらドロレスがいるとしても、どこまで守りきれるか分からなかった。
ドロレスはすぐにチャリオットの1機へと仕掛けた。やはり速い。運動性能ならこちらが上だが、速度性能の差でなかなか追いつけない。
ならばとドロレスは一旦離れ、今度は民間機の元へと戻る。敵が逃げるのならば待ち伏せすればいい。
しかしどうしたことか、ドロレスが追うのを止めた途端、チャリオットはただ遠巻きに民間機の周りを回るだけだった。

『なるほど。それでさっきは1発しかミサイルを使わなかったのか』
「私をここに釘付けにするつもりですか!」

ドロレスの声に悔しさが混じる。
チャリオットはその気になれば、民間機を撃墜できたのだ。だがしなかった。
それは敢えて民間機を残すことによって、ドロレスとR−50Uを護衛対象から動けなくするためだった。
更に2対3という不利な状況を作り出すことによって、絶対にドロレスはこの場を離れられない。

「姑息な真似をっ!」
『キャハ♪ 褒めてもらえて嬉しいわァ〜』

その状況を作り出したチェルシーは、残った2機のチャリオットと共に『糸繰り』を追撃する。
追われる『糸繰り』はと言うと、反撃の機会を窺っているようだった。こちらよりも更に分が悪い1対3という状況にも、冷静に対応している。
一塊になっていたチャリオットが散開した。どうやら個別に『糸繰り』を追い詰め、挟み撃ちにするつもりのようだ。
『糸繰り』の様子をただ黙ってみているしかないこの状況に対して、言葉にならない感情がドロレスを満たしていく。
それが『怒り』だと云うことを、ドロレスは初めて認識した。

『落ち着け、ドロレス。あの程度で「糸繰り」がやられるはずがない』
「分かっています! けどっ………!」

出来るならば、こんな見ず知らずの民間機など見捨てて今すぐにでも『糸繰り』の援護に行きたい。
そんな黒い思考がドロレスの奥底から湧き上がってくる。

『ふ〜ん………アンタがこんなヤツにここまでご執心ってコトは、ホントに何も知らずにココに来たみたいねェ』

チェルシーが呟くように何かを言ったが、ドロレスはもはや聞いていなかった。ただ『糸繰り』の戦闘を見守るばかりだ。

『大丈夫だ………「糸繰り」は冷静に対処している。まず負けることはない」

アランの言うとおり、圧倒的に不利な状況にも関わらず『糸繰り』からは焦りや緊張といった挙動は見えなかった。
チャリオットが『糸繰り』に接近する。立体的編隊機動によって『糸繰り』の逃げ道を塞ぐ。
しかし僅かに開かれた編隊の隙間を潜り抜け、『糸繰り』は攻撃の嵐から脱出した。
それどころか逆にチャリオットの1機に対して背後をとることに成功した。
背後をとられたのはチェルシーだった。

「やった!」

ドロレスは自分のことのように喜ぶ。形勢は逆転した。

『あらァ。意外とやるのねェ?』
「どうですか? 所詮あなたでは『糸繰り』には勝てません!」

対するチェルシーはまるで他人事のようにそう言った。こんなもの危機の内に入らないとでも言いたげに。

『キャハ♪ 流石はアイツの―――――って、ちょっとォ! ヒトが話してるときに撃ってくるとか失礼じゃな〜い?』

『糸繰り』が本格的に反撃に出る。眩い光を放つ1条のレーザーが、チェルシーのチャリオットを掠める。
更に断続的に幾つものレーザーがチェルシーに向かって放たれる。
その全てをひらりひらりと余裕そうにチェルシーは躱しきった。が、実際はかなりぎりぎりだっただろう。
追い詰められたチェルシーは、しかしそれでも余裕の態度を崩そうとはしない。

『わお! 今のはちょ〜っと危なかったかしらねェ?』
「負け惜しみのつもりですか? さっさと撃墜されなさい!」
『だからァ、そう熱くならないでよォ、お楽しみはこれからなんだから。
 ……………さァ〜て、それじゃこっちもそろそろ本気をだしましょうかねェ!』

もったいぶるようなチェルシーの声。どろりとした、嫌な予感がドロレスの中に芽生えた。

『見せてあげるわァ。これが―――――ソランド・カタパルトの本当の使い方よ!!』

『糸繰り』の放ったレーザーがチェルシーのチャリオットに直撃した。
―――――いや。いない。ドロレスは、思わずカメラの故障を疑った。
さっきまでそこにいたチャリオットが、跡形もなく消えている。ソランド・カタパルトが発動したのだ。
逃げた。一瞬ドロレスはそう思った。恐らく『糸繰り』も同じように考えただろう。
しかしドロレスは見ていた。チェルシーは『糸繰り』の目の前から消え、そして即座に。

『糸繰り』の背後に現れた。

「危ないッ! 避けて!!」

悲鳴に近い声でドロレスは叫んだ。その声は『糸繰り』には届かない。
反応が遅れた『糸繰り』はチェルシーの攻撃をまともに喰らった。被弾。
『糸繰り』の機体から黒煙が上がり、機体の速度が一気に落ちる。右主翼がやられた。

『ビックリした? ビックリしたでしょォ? キャハハハハハハハハ♪』

まるで手品の成功した奇術師のように。あるいはとっておきの玩具を見せびらかす子供のように。
チェルシーは心底楽しそうに嗤った。

『ソランド・カタパルトを、戦闘マニューバに使っただと!?』
『キャハハハハ♪ どうどう、羨ましいでしょォ〜? ユリックなんてメじゃない演算速度なんだから♪』
『そんな……………そんな馬鹿なッ!!』

アランは絶句した。
ソランド・カタパルトを構成する現実改竄のための演算は、恐ろしく複雑だ。
世界でも5本の指に入るであろうスーパーコンピュータ、ユリックでさえ数十秒から数分掛かる。
それも単純な直線移動に限った場合だ。『後方に回り込む』という曲線移動の計算はもはや現実的ではない。
だが現実にチェルシーはそれをやってのけた。曲線移動を、相対的に移動する物体に対して。
つまりそれは、1ツの事実を指していた。

チェルシー、お前まさか………持っているのか! 完全なプログラムを!!』
『キャハ♪ むしろまだ気づいてなかったのォ? キャハハハハ♪ にっぶ〜い!
 コレがなかったらY1相手にドンパチなんてできるワケないでしょォ? バッカじゃな〜い?』

可能性はあったはずだ。チェルシーの持つプログラムが、自分のそれより完全に近いことは。
その可能性を無視してしまったのは自分の慢心だ。
プログラムを手に入れた経緯は恐らく同じだろう。なら、チェルシーのプログラムもまた不完全だ。
そう勝手に思い込んでいた。アランは自分の愚かさに嫌気が指した。

『ってゆ〜か、アタシと話してていいのォ? おたくのドロレスちゃんがまた動こうとしてるケド?』

ハッとアランは我に返った。被弾した『糸繰り』を見て我慢ができなかったのだろう。
またもやドロレスが民間機を離れようとする。が、すかさず隙をねらったチャリオットに押し戻された。

『何をしているドロレス! 何度も言わせるな! 護衛対象から離れるんじゃない!』
「でも………でもっ………!」

まるで今にも泣き出しそうな、迷子の少女のような声が聞こえてきた。
震える声はあまりにもか細い。それがドロレスの声だと、一瞬アランは認識できなかった。

「このままでは『糸繰り』が………『彼』が………!」
『大丈夫だ。落ち着け、お前はそのまま民間機の護衛を続けろ。もう手は打ってある』

何もかも放り投げて駆けつける勢いのドロレスだったが、アランの言葉を聞いてなんとか思いとどまった。
手を打った。確かにアランはそう言った。

『既に援護のための機体を発艦済みだ。間もなくそちらに到着する』
「援護………」
『そうだ。だからもう暫くの辛抱だ、ドロレス』
「で、でも空母にはチェルシーを相手にできるような機体は!
 それに、もう彼は限界です! いくら電磁カタパルトでも間に合いません!」

現に『糸繰り』は風前の灯だった。主翼にダメージを受け、機体が安定していない。
そこを容赦なく、チェルシーを含めた3機のチャリオットが追い打ちをかける。
『糸繰り』は為す術もなくただチャリオットの攻撃を紙一重で避けるしかなかった。

『分かっている。だから「コイツ」を出したんだ。
 これならチェルシーを相手にできて、尚且つ戦闘空域に急行できる』

ピッ、と。ドロレスに繋がれたリアリティハック・コンピュータが現実改竄の兆候を捉えた。
またチェルシーがソランド・カタパルトを? ドロレスはそう思った。
しかし違った。当のチェルシーは驚愕の声を上げていた。

『この反応は………!?』
『「糸繰り」が出現した時点で、演算は開始していた。演算の遅さなど幾らでもカバーできる。
 セントラルAIユリックをナメるな! ソランド・カタパルト、レディ―――――ファイア!!』

現実が歪められる。空間はハッキングを受け、特異空間へと変質した。
物体を光よりも速く運ぶ魔法の空間。そのゲートがそこに開いた。
そして、そのゲートから1機の急襲機が現れた。

前進翼。スリーサーフィス。そして双発の大型エンジン。
既存の急襲機の進化の歴史を全く感じさせない独特で孤独な形状。
まるでゴーストのような不気味な漆黒のカラーリングの上を、紅いラインが血流の様に走っている。

その急襲機を、ドロレスは知っていた。開発していることも知っていた。
だが、こうも早く完成しているとは思いもしなかった。―――『1号機』を操る身としては。

『簡易AI「ユナ」搭載型ノーバディ2号機、開発コード「エニワン」!
 ―――――隠し玉を持っているのは何もお前だけではないぞ、チェルシー!』

もう1機のノーバディ、エニワンは出現と同時に攻撃を開始する。
空間変異の兆候をキャッチしていたチェルシーは既に回避行動に入っており、攻撃範囲外だ。
だが『糸繰り』を追うのに夢中になっていたあとの2機のチャリオットは完全に反応が遅れた。
エニワンはターゲットを2機に絞り、マルチロックオン。同時に2発のミサイルをそれぞれに向けて発射。
慌ててチャリオットは旋回を始めるが、もう遅い。ミサイル直撃。
1機のチャリオットはエンジンに被弾し、そのまま墜落した。残る1機は辛うじて耐えた。
だがエニワンの容赦ない機銃の追撃によってこちらも呆気なく爆散した。

『奇襲成功―――だな』
『チィッ! 小癪なマネをッ!!』

続いてエニワンは旋回、離脱したチェルシーへと向かう。
その運動性能はドロレスのノーバディと遜色ない。
同型機であるのだから当然なのだが、ドロレスは不思議な驚きを覚えていた。

「量産型ノーバディ………完成していたのですね」
『ソランド・カタパルト搭載型はこれが最後だがな。
 AIに関してはお前の戦闘データを参考にした。お前以上に「お前らしく」動くはずだ』

そこでドロレスはふと気がついた。『ユナ』と云うAI名の由来についてだ。

「まさか、エニワンに乗っているのは………」
『今は余計なことを考えるな、ドロレス。この隙を逃すな!』

護衛機に纏わりついていた3機のチャリオットのうち1機が離れた。
慌てたチェルシーが『糸繰り』の方へ呼び戻したのだろう。
だがそれは判断ミスだ。これでこちらの状況は2対2になった。
機体の数が互角ならば、戦闘の隙をついて護衛対象を攻撃される心配はぐっと少なくなる。
そしてドロレスなら、速攻でチャリオットを叩き落す自身がある。

「アラン!」
『分かっている。お前なら30秒でやれる! 行け!!』

ノーバディが民間機のもとを離れ、チャリオットへと肉薄する。
片割れのチャリットがその隙に民間機へと近づくが、すぐにR−50Uに追い払われる。

「ドロレス、エンゲージ!!」

解き放たれた鳥のようにノーバディは軽やかに、しかし鋭さを秘めた動きですばやくチャリオットの後方へ回り込む。
ミサイルを使うまでもない。ドロレスは機銃を選択、複雑な回避軌道を描くチャリオットに狙いを定める。
そのチャリオットの未来予測位置に向けて、機銃掃射。偏差攻撃。チャリオットは自ら機銃へと突っ込む。
命中。チャリオットの機体に数え切れないほどの風穴が空いた。すぐに黒煙が上がり、爆散した。

「まずは1機!」

撃墜を確認。だが敵機の残骸が海面に着くよりも早く、ドロレスはR−50Uと睨み合うチャリオットへ。
その間にドロレスは『糸繰り』側の戦況を確認する。
こちらから離れていったチャリオットは、現在『糸繰り』と交戦している。
どうやらソランド・カタパルトを装備しているのはチェルシーのチャリオットだけのようだ。
しかも『糸繰り』を狙うチャリオットの性能は確かに高いようだが、『糸繰り』の機体はそれを上回る。
ダメージがある分『糸繰り』の方が不利かと思われたが、たった1機のチャリオットに落とされるほどの器ではなかった。
一方のエニワンは苦戦しているようだった。
開幕からチャリオット2機を撃墜したエニワンだったが、チェルシー相手では分が悪い。
やはりソランド・カタパルトを使ったマニューバは脅威だった。
今もエニワンは突如として後方に現れたチェルシーから逃げている。防戦一方だ。

「アラン。『糸繰り』とは通信できないのですか?」

もしも『糸繰り』と連携できたなら、この状況は幾許か改善されるはずだ。
しかしアランの返事は無い。その代わりにチェルシーの甲高い声が聞こえてきた。

『ざァんねェんでしたァ! アイツはまだ喋ることはできないのよォ♪』
「喋ることが………できない? それはどう云う意味ですか?」
『アンタたちには関係ないことよォ』

一体チェルシーは何を言っているのだろうか。まだ喋れない。
ドロレスには全く意味が分からなかったが、チェルシーを問い詰めている時間はない。
敵機接近。もう1機のチャリオットがミサイルの射程内に入った。

「シーカーオープン!」

こちらのレーダー波照準を感知したチャリオットが旋回する。
数瞬、一度捕らえたロックが外れる。だがノーバディの運動性能から逃れられる道理はない。
無人機ならではの急旋回。再びチャリオットがレーダー照準波に晒される。
チャリオットの動きが少しだけ鈍くなった。その隙を逃さず、ドロレスはミサイルを発射。
白煙を引くミサイルは、まるで吸い込まれるようにチャリオットへと直撃した。撃墜。

「アラン、こっちは終わりました! すぐにそちらの援護に向かいます!」

民間機の誘導をR−50Uに任せ、ドロレスは単機で『糸繰り』のもとへと急いだ。
『糸繰り』は既にチャリオットを撃墜していた。やはりその腕前は確かだった。
だが手負いであることに変わりはない。『糸繰り』は戦闘空域からの離脱を試みている。

『逃がすかァァ!!』

『糸繰り』の前方の空間にハッキングを確認。直後にチェルシーのチャリオットが現れる。
エニワンを無視し、ソランド・カタパルトを使って先回りしたのだ。

『それはこちらの台詞だ!』

そしてエニワンもまたチェルシーを追う。
やはり最高速度はノーバディ同様高くはない。『糸繰り』とチェルシーが交差するまで間に合わない。

「あなたに彼はやらせません!」

エニワンよりも一歩遅れてドロレスも続く。
エンジン出力全開。機体各部から送られてくる異常信号をいつものように無視する。

チェルシー、お前は一体何者なんだ! 何故「糸繰り」を狙うんだ!?』
『キャハ♪ ホント、アンタってば言うこと成すことハズレばかりねェ〜!』
『なんだと?』
「アラン、惑わされては駄目です! 今は彼を………!」

ドロレスが言い終わる前に、チェルシーが『糸繰り』と交差した。ヘッドオン。
ほぼ同時にミサイルを発射した。が、どちらも当たらない。
ミサイルを放った『糸繰り』は少しだけ機首を逸らした。攻撃よりも回避を重視したのだろう。
対してチェルシーは軌道を変えた『糸繰り』に合わせて正面から向かってくる。
レーザーが走った。チェルシーによる『糸繰り』への近接攻撃。
『糸繰り』は更に大きく進路を変更。レーザーを躱すべく大きく機体を滑らせる。
―――被弾。だが浅い。ダメージは極小で済んだ。
そのまま『糸繰り』とチェルシーはすれ違った。『糸繰り』は空の彼方へと飛び去っていく。

『―――と見せかけてェ♪』
「あ………危ない!!」

リアリティハック・コンピュータが現実改変の兆候をキャッチ。
ソランド・カタパルト起動。一瞬のうちにチェルシーの姿が消えた。
そして、再び現れたのは―――『糸繰り』の、後方。

『キャハハハハ! これでェ………終わりよォ!!』

チェルシーのチャリオットからミサイルが放たれる。2発。
駄目だ。『糸繰り』はやはり反応が遅れている。現実改変を事前に検知できていないのだ。
ドロレスはノーバディのエンジン出力を更に引き上げる。もう機体がもたない。
それでも追いつけない。『糸繰り』を狙うミサイルは、真っ直ぐに目標へと飛んでいく。
お願い、避けて―――! ドロレスは悲鳴を上げそうになった。

『させるかァ!』

アランの怒号が響いた。直後に、また現実改変が始まった。
空間が歪む。―――しかし完全ではない。不安定な特異空間だ。
言い換えれば、それは非常に危険なソランド・カタパルト。空間ごと物体を押し潰しかねない壊れかけのトンネル。
そのトンネルの中を通って、漆黒の急襲機が『糸繰り』とミサイルの間に現れた。
簡易AI「ユナ」を搭載した、ノーバディ2号機。エニワンだった。

『なッ!?』

さすがにこれにはチェルシーも驚いたようだった。
ソランド・カタパルトは、その始点・終点は固定座標で指定しなければならない。
そのため相対的に移動する地点―――たとえば『敵急襲機の後方』などを指定することはできない。
チェルシーがそれをやってのけたのは、あくまで演算速度がズバ抜けていたからにすぎない。
ユリックによるソランド・カタパルト構成のための演算速度では、到底真似できない所業だ。

だが。敵急襲機の挙動をかなり正確に予測して。
そして演算を。空間を構成し直す演算を『中途半端』に終わらせたならば。
非常にハイリスクではあるが、ユリックにもチェルシーの真似はできるのだ。

『言っただろう。ユリックを―――ユナをナメるな!!』

エニワンはミサイルと相対するようにして現れた。その左半分は消し飛んでいる。
空間に削り取られたのだ。だが不完全な特異空間を通り抜けられたこと自体、奇跡に近かった。
エニワンがありったけのミサイルを発射する。ノーロック。いや、目標はある。チェルシーの放ったミサイルだ。
エニワンから放たれたミサイルは、チェルシーのミサイルと衝突するコースで飛翔する。
無論、高速で飛翔するミサイル同士が正面から当たる確立は低い。
そこでアランは、チェルシーの放ったミサイルが近づくと、こちらのミサイルを一斉に自爆させた。
それによって生じた爆炎、爆風によってチェルシーのミサイルが燃やし尽くされる。

『お前も行かせはしない!』

続けてエニワンはチェルシーに特攻をしかける。
機体の半分が吹き飛んだせいで、エニワンは思ったように飛ぶことはできない。
だが、それでも闇雲に機銃を撒き散らしながらチェルシーにぶつかって行くことはできた。

『チィッ!』

忌々しげにチェルシーは一旦『糸繰り』を追うのをやめ、自滅覚悟のエニワンから逃げる。
軌道を変えたことによって、チェルシーの速度が落ちた。そこを見逃すドロレスではない。

『ドロレス!』
「わかっています!!」


チェルシーの後方からノーバディが凄まじい速度で追い上げてくる。
長距離ミサイル発射。セミアクティヴ・レーダーホーミング。
チェルシーとの距離が離れていることを逆に利用し、広い視野角でチェルシーを捉え続ける。

『小賢しいマネをッッ!』

大きなカーブを描いてしつこく追尾するミサイルに、チェルシーは翻弄される。
結局ミサイルは外れた。フェイルド。

『逃がすな、ドロレス!』
「はい!」

やっとノーバディがドッグファイトのできる位置まで辿り着いた。
ミサイルを避けたままの急旋回で、チェルシーはドロレスの追撃を躱そうとする。
だが遅い。チェルシーのチャリオットは確かに高性能ではあるが、ノーバディの運動性能には劣る。
ソランド・カタパルトさえ無ければノーバディの方が有利だ。

「いくら演算速度が早くても、ジェネレータのチャージには時間がかかるはず………!」

チェルシーがソランド・カタパルトを使う前にケリをつける。
チェルシーは単純なマニューバでは逃げ切れないと悟り、戦法を変えてきた。
チャリオットの高度が一気に下がっていく。高度差を利用し加速。ノーバディを振り切るつもりだ。
だがノーバディの特徴は空理気制御による運動性能だけではない。
エンジン出力、再び全開。極少量の吸気だけで、最高出力を叩き出す。
それは殺人的な加速に繋がった。未だ最高速度に達しないチャリオットを、急激に追い上げる。
そしてチャリオットが、機銃の射程内に。

「レディ、ガン―――――ファイア!」

ドロレスはありったけの弾丸をチャリオットへと叩き込んだ。命中。
すぐにチャリオットはロールし機銃から逃れたが、すでに数十発は被弾していた。

『ぐッ……………このクソがァ!!』

咆哮するチェルシーとは対照的に、チャリオットの速度は明らかに落ちていた。
しかし直撃弾をあれだけ喰らいながらも、チャリオットにはまだ撃墜される気配はなかった。
恐らくチェルシーのチャリオットにだけは、何らかの強化が施されているのだろう。

『クソッ! アイツも何時の間にか逃げやがったしィ……………!!』

アイツ、とは『糸繰り』のことだ。
ドロレスがチェルシーを追っている間に、『糸繰り』既にレーダーの範囲外へと離脱していた。

『………ま、アイツはまた今度でいいかァ。あ〜あ、ヤル気無くしちゃったなァ〜』
「あら、降参するつもりですか?」
『まァさか! たった今、カタパルトの準備ができたトコロよォ。
 今日はもォ飽きちゃったから、アタシはこれで帰るとするワ♪』

言われなくても、既にドロレスは気づいていた。
だからチェルシーは何も言わない。黙っているしかなかった。

『そォいえばさァ〜? 随分な無茶をしたわねェ、アラン?』

唐突にチェルシーはそう言った。エニワンのことだ。

『………確かにエニワン、そしてカタパルトを失う危険はあったな。
 だが賭けは私の勝ちだった。お前の妨害ができた。十分な結果だろう!』
『キャハ♪ うんうん、そォねェそのとォ〜りねェ♪』
『何が言いたい?』
『べっつにィ〜? だたさァ、アンタは冷めたヤツだと思ってたけどサ。
 アイツのことになると形振り構わなくなるんだ〜って思ってねェ?』

何やら含みを持ったチェルシーの言い方だが、それに対してアランは何も言わなかった。
ドロレスもまた一言も喋るつもりはなかった。これでこの話は終わりだ。
しかしチェルシーはまだ話し続けた。

―――――そして、その内容は到底無視できるものではなかった。

『そォ言えばさァ。知ってるゥ?
 第2次エイリアン大戦のときィ、一番最後に「糸繰り」に接触したのが「Y1」だってこと?』
「………なんですって?」

思わずドロレスは反応してしまった。
Y1が………『糸繰り』と逢っていた?

『キャハ♪ なァんだ、やっぱり知らなかったんだァ。
 まァそれはそォよねェ。公にはされてないからさァ?』
「その根拠は?」
『アラ、疑ってるのォ? でも事実は事実よォ。
 なんだったら、ICKXにでも潜り込んでみたらいいんじゃなァい?』

挑発するようにチェルシーは言い放ったが、もはやドロレスは聞いていなかった。
『Y1』と『糸繰り』。彼らに接点があっただなんて。

『じゃ、アタシはそろそろ帰るワ♪ まったねェ〜!』
「待ちなさい! まだ話は終わって―――!」

言うが早いか、既にチャリオットは姿を消していた。
追跡は不可能。取り残されたドロレスは、ただ呆然としていた。

「………どう思いますか、アラン?」
『ヤツの言うことを鵜呑みにはできない。
 だが無視できる内容でもない。一度、徹底的に調べてみる必要がありそうだな』

ドロレスもまた同意見だった。
情報源はあのチェルシーなのだ。信用は全くできない。
そもそもどうしてそんな情報を渡すのか、まるで見当がつかない。
先日のICKX戦でもそうだったが、チェルシーの目的がいまひとつ見えてこない。
その一方で、ドロレスはチェルシーが誘導する道へと進むしかないのだ。
それしか道は見えないのだから。その道の先にしか、ドロレスの目的は無いのだから。

『とにかく、すぐにでも調査を始めよう。
 だがその前にエニワンを無事空母に着艦させることが最優先だ。ドロレス?』
「任せてください。少々手荒くなりますが、何とかしてみせます」

エニワンのコントロール権限がドロレスに移った。
簡易AIユナでは、これだけ損傷した機体をあの空中空母に着艦させるのは難しい。
無論、それはドロレスでも変わらなかった。

「………もうすぐ………」

空母までの帰り道。
エニワンを引き連れたドロレスは、未だ再開を果たせぬ想い人を呟いていた―――――