Misson 04 -ICKXラバーズ破壊ミッション-


[BRIEFING]


20世紀の漫画には『ネットの海にダイブする』というフレーズがある。
そのフレーズが出てくる漫画では、人間の脳は電脳化され、様々なサーバーと密接に絡まったインターネットへと直接意識を接続することができる。
ネット上の情報は人間が知覚できる形に翻訳され、まるで電子空間というものがあたかも存在するかのように、その仮想空間内で電脳化した人間達は情報のやりとりを行う。
これは人間の感覚が限定されているからに他ならない。感覚とは即ち五感、視覚や聴覚といったものである。
根本的に0と1の集合体である情報を人間に入力するためには、人間が持つ五感のどれかに翻訳する必要があるのだ。
例えば人間が使うパソコンとて、ディスプレイに表示されるのは様々な文字や画像だが、それは0と1をソフトによって翻訳したものだ。
そういった翻訳の究極のカタチ、その漫画上の表現が先の電子空間と言うことだ。

では、人間の頭脳を模倣したAI、ドロレスもそのような電子空間を自在に飛び回るイメージでアクセスするのだろうか?

もしもそんな問いをアランにしたとすれば、たった一言「馬鹿馬鹿しい」という答えが返ってくるだろう。
ドロレスは人間の頭脳に近い構造を持っている。ソフトの話ではない。従来のコンピューターとは根本的に異なるハードで成り立っているのだ。
故にドロレスは他のコンピューターとの相性が少し悪い。
ドロレスは他のコンピューター、つまりはインターネットにアクセスする際は、それらに合わせたハードをエミュレートしている。
これは上記のような翻訳機とは少し違う。ドロレスは情報を翻訳するのではなく、自身が『機械になりきる』ことで0と1の情報をそのまま自身へと入出力している訳だ。
ドロレスには、そういった人間にはない『感覚』もしくは『器官』が存在している。0と1をそのまま感じ取れる器官だ。
もしも0と1の情報を電子空間のイメージに翻訳するソフトがあれば、ドロレスは視覚や触覚といった感覚でそれを感じ取ることが出来るだろう。が、それでは効率が悪すぎる。
そんなものを開発している暇があれば、独自のブラウザでも作っている方がはるかに効率的なのだ。
ドロレスならそのブラウザを先の器官に乗せ、誰よりも上手く扱うことができるだろう。

そんな訳で、ドロレスは5種類のブラウザと7種類の検索サイトを駆使し、人間とほとんど同じ方法、ただし人間離れした尋常でない速度と効率でネットの海を泳ぎまわっている。

「どうだ、ドロレス? なにか情報は見つかったか?」
「申し訳ありません、アラン。八方手を尽くしてはいますが…………ユリックの方はどうですか?」
「こちらも駄目だ。あらゆるサーバーにハッキングしてはみたが、目ぼしい情報は1ツもないな」
「そうですか………」

人間を必要としない無人機によって埋め尽くされた、飛行空母デウス・エクス・マキナのハンガー内。
固定されたノーバディの機体下部から太いケーブルが伸びている。電源ケーブルと通信ケーブルだ。
ドロレスはそのケーブルで飛行空母のサーバーと繋がり、サーバーは衛星を介して世界中のインターネットと繋がっている。
孤立無援の飛行空母の中に居ながら地球上のあらゆる情報を閲覧することができるドロレスは、今の今までずっとあることについて調査していた。
それは、先日のミッションで自分達が遭遇した謎の人物。世界でも最高度のセキュリティを持つナーガ・ラージャを乗っ取った、目的も所属も不明の少女についてだ。

「『チェルシー』…………一体何者なのでしょうか?」

ぽつり、とドロレスは言葉を漏らす。チェルシー。ドロレスに、正確にはドロレスとアランに接触してきた、チャリオットのドライバーの名だ。

「調べれば何かしらの情報は出てくるだろう、とタカをくくっていたが…………ものの見事に何も出てこない、な」
「本社にも報告してあるのですよね。調査の依頼も」
「当然だ。ナーガ・ラージャを乗っ取るほどの奴だ。本社が黙って見過ごすはずがない。
 だが本社の情報収集解析部門が総力を挙げて調べているにもかかわらず、何も掴めていないのが現状だ」
「他の組織はどうですか? ニュースで報道された以上、ほとんどの企業や国がその存在を把握しているはずです。特に、あの場に居合わせた組織は」
「そちらも同じだ。どこもかしこも手掛かりを掴むことさえ出来ていない様子だ」
「合衆国もですか?」
「中央情報局が本格的に稼働している。何か情報を掴んでいると思って潜れるところまで潜ってみたが、結局奴らも何もわからないらしい」

―――あの事件の後。
ナーガ・ラージャは機能を回復したものの、国連の指示により一時その任を解かれ、犯人の手掛かり云々といったものが残されていないかどうか徹底的に調べられることとなった。
しかし、国連の発表はあまり芳しくない。物理的接触により強制介入されたナーガ・ラージャのサーバーだが、確かにその時の物理的損傷ははっきりと残っているものの、手掛かりになるような痕跡は何も残されていなかった。

そもそも今回の事件はその発端からが謎だった。
ナーガ・ラージャは常時、上空8万5000フィートを亜音速で飛行している。急襲機など論外、大気圏外活動が可能なチャリオットでさえ接触は困難な領域だ。
それを攻撃するならまだしも、チェルシーの乗ったチャリオットはあろうことかナーガ・ラージャのブリッジにドッキングしてしまった。
その当時ナーガ・ラージャのブリッジにいた人間の話によると、チャリオットはブリッジの真上に『突然現れた』のだそうだ。
まるでその地点までワープしてきたかのように。
いや、実際そうしたのだろう。チェルシーが敗北を察し戦場から撤退する際に見せた、まるで手品のような逃走劇。その方法をドロレスは知っていた。

「独自調査の結果、リアリティハック・コンピューターが観測しました。間違いありません。
 ですが『あれ』は世界中でまだ誰も実用化できていない兵器……………。
 チェルシーが所属するであろう組織は、私たちよりはるかに高度なテクノロジーを持つということになりますね」
「ああ。あの技術は私でさえ未だ試作型に留まる未完成兵器だ。それをやすやすと使っていた以上、奴らは世界屈指の技術を持っていると言っていいだろう」

だからこそ、余計に解からない。
それほどのテクノロジーを持ちながら、何の情報も漏れていないのはおかしい。
人の口に戸は立てられないと言うように、噂というものは必ずどこかから流れてくる。それがたとえ高度に隠蔽された軍事機密であってもだ。
だが今回の場合、事件が起こる直前まで『あの技術』を完成させたというような噂はどこにもなかった。信憑性の無い都市伝説レベルの噂を探っても。
調査して出てくるものといえば、事件直後の報道を見た噂好きの一般人達が面白おかしくでっちあげた、根拠も何もないただの与太話ばかりだ。
中には『N&R社黒幕説』まであるから笑えてくる。

「世界中の機関が調査しているにも関わらず、分かっているのは『チェルシー』という名前だけです。
 声色からすれば少女のように思えますが、直接会話した訳ではない以上、断定はできませんね。
 ですが何より不気味なのは、彼女の目的が推測さえできない点にあります」
「普通に考えればあの事件で得をした人間…………ということになるが、そんな奴は誰一人としていない。
 テロ組織は壊滅、合衆国軍や参加した企業の幾らかが機体を失っている。
 自社の製品のアピールの為の自作自演だったならカラシニコフ社が怪しいが、回りくどいにも程がある。
 国連の所有施設に手を出すリスクの方が明らかに大きい。同様の理由で他社の妨害行為というセンも薄いな」
「どう考えても利益を上げた者がいるとは思えない、ということですね」
「更に言えば、チェルシーにとって今回の事件は寧ろ不利益にしかならない。
 あれほどの技術をこれまで巧妙に隠蔽してきたにもかかわらず、ここにきて暴露してしまう意味がまるで理解できない。
 チェルシーの正体もそうだが、私としてはその目的の方が気になるところだ」

特にチェルシーと実際に接触した身としてはそれが最重要事項だった。
あの事件においてチェルシーと会話をしたのは、ドロレスとアランだけだ。故に他の企業や合衆国は、チャリオットに乗っていたのがチェルシーと名乗る少女だと知らない。
とにかく奇妙なのは、チェルシーがドロレスに接触してきた点だった。
あの場にはドロレス以外にも、他企業の急襲機が数多く飛んでいた。コミュニケーションを取りやすい、人間を乗せた急襲機が。
なのにチェルシーはわざわざAIであるドロレスを選択して接触を図ってきた。その存在を公表していなかったドロレスに、だ。
そしてドロレスのレコーダーを盗み見てまで、チェルシーはアランの正体を探ってきた。これは明らかに、チェルシーの目的がドロレスとアランにあることを意味する。

「それで、彼女の正体に関して何か心当たりはないのですか?」
「残念ながら全くだ。チェルシーなどという名前にも、あの癇に障る口調にもな」

吐き捨てるようにアランは言う。もちろんドロレスにだって心当たりはない。
チェルシーの目的は何なのか。あれほどの事件を起こした目的。………いや違う。ドロレスとアランに接触した目的とは。

「………答えの出ない疑問に時間を割くのはこれぐらいにしよう。こうしている間にも仕事は次々と入ってくるんだからな。と言う訳でドロレス、本社から新しい依頼だ」
「わかりました。少し待ってください。今、アプリケーションを終了しますので………」

ブラウザが次々と閉じられていく。家庭用のパソコンならクラッシュしてしまいそうな数のブラウザが全て役目を終えると、
ドロレスはアランが用意したブリーフィングデータをダウンロードする。
そのブリーフィングデータの内容を見て、ドロレスは軽い衝撃を受けた。

「これは……………。いつかはそんな任務も来るとは思っていましたが、意外に早かったですね。私がロールアウトしてから、まだ1年も経っていませんよ?」
「人間なら大問題だが、お前なら…………いや、お前でも同じか。だが私達がN&R社という大企業に属する以上、絶対に避けては通れない道だ」

ブリーフィングデータを眺めながら、ドロレスはほとんど独り言の様に呟く。
ブリーフィングデータの地図上に示されているのは、複数の急襲機と1隻のラバーズ。その所属欄に記されているのは、4文字のアルファベット。

「『ICKX』―――チェルシーも手強い相手でしたが、こちらは更に厄介そうですね」

ICKX兵工技研』。1年前の第2次エイリアン大戦において、人類側の勝利へ多大な貢献をしたことで知られる超巨大企業。
私設軍隊『PDF』は独自カスタムが加えられた急襲機で構成され、更に複数のラバーズを保有するその戦力は他社を圧倒している。
そしてICKXの象徴ともされる、地球人類が持つ唯一のフォーチュン級潜水空母フォートクォート』は、ICKXを語る上でなくてはならない存在だ。

「地球人類で唯一中枢制御に成功したICKXのフォートクォートは、現代の無敵艦隊と呼ばれているほどだ。
 あらゆる妨害勢力をその圧倒的な火力で全滅させる。1年前の大戦中には、同じフォーチュン級を沈めた経験まである」
「エイリアンがもたらした未知の兵器。その兵器を自在に操るICKX。
 エイリアンの技術解析に関しては、彼らの右に出る者はいないとまで言われていますね。……………少なくとも、先の事件の黒幕説が流れるくらいには」

第1次エイリアン大戦の後、あらゆる勢力がエイリアンの技術解析に躍起になった。そのほとんどは失敗に終わったが、ただ1社、ICKXだけは別だった。
フォーチュンを初めとするエイリアンの技術は、ICKXの躍進を遂げる大きな助けとなる。

「正直、奴らの技術力は私よりも上かもしない。軍事以外の面を見てもそうだ。先日発表されたICKX製アンドロイドのプロトタイプには、さすがに度肝を抜かれたよ」
「アンドロイド、ですか?」
「ああ。金髪に、翠の瞳の…………いや、蒼だったか? アンドロイドにしてはなかなか可愛らしい美少女だったな。
 しかもAIまで搭載されているときたものだ。その場にいた全ての人間の言葉を理解し、応じていた。まぁ、お前以上に捻くれた性格だったがな」
「人と対話可能なAIまで独自開発ですか……………凄まじい技術力ですね。そんな企業が今回の相手、ですか」

―――『ICKXのラバーズを撃沈せよ』。それが今回、ゴースト部隊に下された本社からの任務だった。

「本社の情報収集解析部門が掴んだ情報だ。2日後、ICKXに所属するラバーズが1隻、複数の急襲機を伴ってこの地点を航行することが判明した。
 どこかの企業の依頼を受けての行動らしいが、ICKXのラバーズが単独で動くのはそれなりに珍しい」

ドロレスの脳裏に表示されたブリーフィングデータ、その海上に浮かんだラバーズが強調され、本社の情報部が掴んだという航行ルートが示される。
その周辺には護衛機の姿が。いつぞやのブリーフィングデータと似通っている。

「当然と言えば当然だが、ICKXのラバーズは中も外も独自の改造が施されている。その戦力は他社のラバーズと比べ物にならない。
 先日のツヴィリング・ドラッヘン社と同じような任務内容だが、あの時ほど上手くいくことはまずないだろう」
「と言いますが、ツヴィリング・ドラッヘン社もそれなりに厄介な相手でしたよね?」
「そうでもなかっただろう。厄介だったのは奴らが飛行空母に突撃してきたからだ。ラバーズの撃破自体はそこまで難しいものでもなかった筈だ」

確かにあのままツヴィリング・ドラッヘンが大人しくしていれば、何の問題もなく任務は完了していただろう。
それが伝家の宝刀まで持ち出す破目になったのは、彼らの勘が異常に冴えわたっていたことにある。或いはこちらの運がなかったのか。

「だが今回は幸、不幸関係なしに難しいミッションになるだろう。なにせ相手は天下のICKXなんだからな」
「ICKXのラバーズにも改造が施されている、と言いましたよね。彼らのラバーズにはどのような改造が施されているのですか?」
「フム。そうだな……………先日のツヴィリング・ドラッヘン社のラバーズが防御特化型の改造だとすると、ICKXのラバーズは攻撃特化型の改造だ。
 元々あったレーザーを近接ビーム兵器に換装することによって、威力と速射性を高めているのが特徴だ。
 射程距離は縮んだが、格闘戦を得意とする急襲機への対抗策としては妥当な判断だ。接近する急襲機にビームの雨を浴びせかけ得る強力な兵器と言えるだろう」
「攻撃は最大の防御、ですね」
「ICKXらしいカスタマイズと言えるな」

ICKXほど他社に容赦のない企業は存在しない。
世界でも最大手と言われるだけあって、IKCXに入ってくる依頼の数はN&R社のそれを凌駕している。
にも関わらず、ICKXの任務成功率は非常に高い水準を誇っている。それは妨害に来る他社の戦力を完膚無きまでに叩き潰すからだ。
圧倒的戦力によって他社を撃滅し、完璧に依頼をこなす。それがICKXのやり方だ。
それでも市場の大半を占めるICKXの権威を失墜させようと果敢に挑む企業は数多いが、未だにICKXの任務妨害に成功したという話は聞こえてこない。
世界最強の私設軍隊を持つ企業。それが今回の、ドロレスの相手だ。

「本当に無謀もいいところですよね。下手をすれば私、帰って来られないかもしれませんよ?」
「ははッ、そこまで悲観することはない。本社だってこれが勝機のある作戦だからこそ立案したんだ。
 さっきも言ったことだが、ICKXのラバーズが単独で行動するのは珍しいんだ。
 フォートクォートを中心とする大艦隊が相手ならまだしも、今回はラバーズがたったの1隻だ。見返りは少ないがリスクも小さい」

そんなものですか、とドロレスは半信半疑で呟く。毎回のことながら厄介な仕事を押し付けられたものだ。
最近のN&R社の他社に対する妨害任務は、ほとんどゴースト部隊が請け負っている。それは無人機が有人機に比べ、撃墜された時のリスクが小さいからだ。
急襲機1機あたりの単価が安いからではない。将来的にはそうなる見通しではあるが、今はまだ無人機の方が機体単価は高い。では妨害任務に無人機を使うメリットとは何なのか。
その答えは、国際法にある。
現代の国際法では、ある企業が何らかの勢力から攻撃を受けた際、法に訴えるにはその勢力を特定できる確実な証拠が必要だ。それは言ってしまえば、攻撃してきた勢力の『捕虜』を確保することを意味する。
そう。つまり妨害任務において無人機が持つメリットというのは、万が一撃墜されたとしても捕虜を捕られる心配が一切無いのだ。
しかも遠隔操作で何の躊躇も無しに自爆させることができるため、機体そのものを敵に鹵獲される心配もほとんど無い。
この差は極力リスクを避けたがる企業にとって非常に重要だ。告訴が難しい現国際法だが、しかし一度法に訴えられた場合、その企業はほぼ確実に敗北が決定する。
無人機を使うことのメリットとは、そうした『証拠』を残すことが無いところにある。故に最近のゴースト部隊には、他社への妨害任務が集中してやってくるのだ。

「だからと言って、新米同然のこの私にICKXの相手をさせるのもどうかと思います」
「確かに経験は浅いが、お前にはそれを補って余りある才能があるだろう。あ、いや、AIに『才能』という言葉はおかしいのか? あー、この場合は……………」
「…………基本スペックですか?」
「…………ま、それでいいか。とにかくお前は、今の時点でそこいらのドライバーとは比べ物にならない腕がある。
 実際にこれまでの戦績を評価した結果、我が社の戦術空戦部門の一個飛行隊に相当することが判明している」
「嘘ですよね、それ。その台詞は有名なビデオゲームの中で聞いたことがありますよ」

ちッバレたか、とアランは露骨に舌打ちした。どうやら本当にただのご機嫌取りだったらしい。
確かにドロレスはN&R社のエースチーム4機を単独で撃破した経験があるが、さすがに飛行隊に相当するというのは大げさだ。

「いや、しかしそのように設計してあるのは本当だ。ノーバディとお前の開発には、通常の新型急襲機開発の3倍以上の予算が掛かっている。
 半世紀はお前を単独で上回る急襲機は現れない、そう自負できるだけの性能を実現させたつもりだ」
「私を誉めるフリをして自画自賛するのはやめてください」
「事実を言っているだけだ。問題ない。お前ならICKXのラバーズを撃破できる。きちんとした裏付けもあるしな」

アランは今回の作戦のシミュレート結果を表示した。
N&R社の本社にある中央戦略コンピューターの弾き出した優勢予測指数はプラスを指し示している。ユリックも同じ結論だ。

「それに、今回はそれなりの戦力を用意したつもりだ。R−55Uを3機、お前に付けることになる」
「たったそれだけですか?」
「とは言うが、R−55Uは正式配備された遠隔操作型無人機では最新鋭機だ。3機でもかなりの戦力になるぞ? それにだ、これはその他の要素を見越してのことだ」
「…………と、言いますと?」
「N&R社が掴んだICKXのフライトプランだが、これをICKXと敵対する幾つかの企業に流した。
 それら全ての企業が、という訳にはいかないだろうが、恐らく他社も私達と同じように妨害工作を仕掛けてくる筈だ」

前述のとおり、ICKXを目の敵にしている企業は星の数ほど存在する。そのどれもが、ICKXの権威失墜の機会を虎視眈々と狙っているのだ。
当然、こんな獲物を目の前にして黙っている彼らではない。ほぼ確実に幾つかの企業は妨害のための部隊を出してくるだろう。

「暗黙の共同作戦、ということだ。我が社の予測では3社、私達と合わせてだいたい飛行隊並みの戦力が揃うはずだ」
「随分と不安な援軍ですね………」
「確かにアテにはできないな。だが安心しろ。
 先程の優勢予測指数はゴースト部隊の戦力だけを考えての計算結果だ。もし誰も来なかったとしても、勝算は十分ある」

とは言え、さすがにその場合は作戦中止を命ずることも許されているがな、とアランは付け加えた。
それなりに危険度が高い割に事前準備がアバウトな気がする。ほんの少しではあるが、ドロレスは作戦立案を行っている本社の参謀本部に不安を覚える。

「言っただろう。これは絶対に避けては通れない道だ。軍事市場の大半を支配するICKXは、我々のようなPMCにとっては非常に邪魔な存在だ。
 必ずいつかは奴らと戦う運命にある。ま、さすがに早すぎる気はしないでもないがな」
「ICKXの戦力が分散したこの機会だからこそ、その自覚があっても手を出さざるを得ないのでしょうね」

いつかどこかの戦場で大交戦になるかもしれない相手だ。今のうちに少しでも戦力を削っておきたいと本社が考えるのも頷ける。
ICKXにしては迂闊にも情報を漏らしてしまった。滅多にないチャンスに本社は興奮しているだろう。
ドロレスは再びブリーフィングデータに集中し、自身でも簡単なシミュレートをしてみる。結果は、こちらの勝利。
こちらも1機ぐらい犠牲になるかもしれないが、必要な出費だろう。それでICKXのラバーズを1隻墜とせるのなら安いものだ。

「ブリーフィングは以上だ。作戦開始はそこに書かれている通りだ。それまでは………」
「ネットでICKXに関する情報を集めておけ、でしょう?」
「そうだ。敵を知ることこそ勝利への近道だ。特にICKXには未確認な情報も多い。
 信用できない情報だったとしても、知っておいた方がいいだろう。たまにそれが貴重な情報だったりするからな」
「はい、分かっています」

アランからの通信が切断された。ドロレスは空母のサーバーを介してインターネットにアクセス、早速ICKXについて検索をかける。
約3千2百万件のサイトがヒットした。その1ツ1ツを膨大な数のブラウザを駆使し、ドロレスは同時並列的に凄まじい速度で閲覧していく―――















































[MISSON]


空の彼方の太陽が海面を照り付けている。
反射した光は海面の波にあわせて複雑な模様を描く。一見すればそれは不規則で、しかしそこには確固たる法則性が存在している。
その法則性を解明するためには、あらゆる自然現象をモニターする装置と膨大な処理能力を持ったスーパーコンピューターが必要になるだろう。
人類がエイリアンの技術を手に入れた現在。文明は革命と言えるほど飛躍的な進歩を遂げたが、人間は未だにこの波の法則性を確定できる領域には達していない。
いや、それどころか人間は、この海の最も深い場所にさえ未だに達していないのだ。彼らが月に立ったのは何十年も昔のことだというのに。
不思議なものだ。ヒトは自身が住む地球について何も知らないまま、ずっと彼方の宇宙を眺めている。大海を夢見る蛙はその井戸の深さを知らない。
―――蛙はただ、見上げるばかり。

『高みを目指すのは良いことだ。向上心の無いものに明日は無い。
 が、地に足のつかない考え方は危険だ。上ばかり見上げて歩いていると、足元に潜む落とし穴に嵌まりかねない』
「突然どうしました、アラン?」
『…………少し物思いに耽ってみただけだ。
 第1次エイリアン大戦の直後に起きた、エイリアンの技術をめぐる騒乱。その最大の勝者がICKXだ。
 今の奴らの技術はほとんどオーバーテクノロジーと言っていいだろう。
 しかし強大な力というものは、一歩間違えれば自らを…………いや、自身も含めた全てを滅ぼす禍となる。
 数十年前に発見した「核」という力さえ、未だに人類にはすぎたオモチャだ。もしもエイリアンの力が暴走すれば…………恐ろしい事態が巻き起こることになる』

しかも本当に恐ろしいのは、その天下のICKXでさえエイリアンの技術を完璧には扱えていないという事実だ。
大戦中、エイリアンの空中戦艦に展開されていたあらゆる攻撃を無効化するエネルギーシールド。
世界中のあらゆる組織、企業、国家が成し得なかった『フォーチュンの中枢制御』に唯一成功したICKXでさえ、その無敵の盾を今一度復活さえることには成功していない。
フォーチュンの機能のほとんどを掌握し、それどころか独自のカスタマイズまで加えてはいるが、彼らも未だその全貌を解き明かせずにいる。
ICKXが、人類が知らない影の部分。そこにエイリアンが残した脅威が無いと何故言えるだろうか。
もし、それが地球全土を焼き尽くすほどの兵器だったとしたら? もし、それが何かの拍子で偶然作動したら? もし、それを見つけた誰かが邪念に憑りつかれていたら?

『確かに人類はエイリアンの技術、その一端に触れることに成功した。
 だが自惚れては駄目だ。その瞬間、人類は自らの首に突き付けられたエイリアンのナイフを、自身の手で突き刺すことになる』

そしてそれは人類だけでなく、地球の滅亡を招くことに繋がる。人間が殺すことになるのだ。自らの、星を。
エイリアンの技術はそれを可能にするかもしれない。しかもその自爆スイッチは、極少数の人間の意志に託されることになる。数十年前の『冷戦』と呼ばれた時代の様に。
そしてそのスイッチは『偶発的な事故』という神の気紛れによって、誰の意志とも関係なく押し込まれてしまう危険性まで孕んでいる。
今の人類が扱うエイリアンの技術とは、そういったモノなのだ。

「それは…………あまり想像したくない事態ですね。ですがアラン。それは私たちにも言えることではないですか?」

ドロレスはノーバディに、自身に組み込まれた新たな装備の存在を意識する。
それもまたエイリアンから人類が勝ち取った技術の1ツだった。もはや『神の叡智』と言っても過言ではないその装備は、前述の危険性をそのまま体現したかのような兵器だ。

「『これ』のプログラムはまだ完成していないのでしょう? いえ、そもそも人類の技術では『これ』のプログラムの作成は不可能と言われてきました。
 どうやってあなたがこの不完全なプログラムを手に入れたかは知りませんが、もしも『これ』が暴走でもすれば、地球が吹き飛ぶ可能性もあるんですよ。
 あなたが彼女に…………チェルシーに衝撃を受けたのは分からなくもありませんが、こんな未完成兵器を搭載するなんてあなたらしくありません」
『………確かに早まった行為だとは思っているがな』
「では、何故?」
『私にも色々と都合がある、とだけ言っておこう。………チェルシーは再び接触してくるはずだ。たとえ未完成でも無いよりはマシだと判断した』
「わかりません。どうしてそこまでして彼女に拘るのですか? 彼女があなたよりも高度な技術を持っているからですか?」
『言っただろう。私にも都合がある、とな』

アランの沈黙を感じ取り、ドロレスも押し黙る。
正直に言ってドロレスとしては、そこまでチェルシーを脅威と感じるアランの考えが解からなかった。いや、アランは恐れていると言うよりも、警戒していると言った方が正しいかもしれない。
もっと別の言い方をすれば、アランはチェルシーに対して異常なまでの興味を持っている。
普通に考えれば、それは自身より高度な技術を持つ相手だから………と考えられるが、どうにもアランの思惑はそれだけではないようにドロレスは感じた。

『心配するなドロレス。「それ」が空母の「対消滅砲」にも匹敵する危険なモノだという認識はある。
 完成したモノならまだしも、未完成の「それ」をやたらめったら使わせるようなことはさせない』
「………なら良いのですが」

ドロレスはツヴァリング・ドラッヘンのラバーズに対して放たれた、あの対消滅砲の記録データに意識を向ける。
物質と反物質によって引き起こされる、質量がエネルギーへと変わる瞬間。凄まじい熱量によって内部から崩壊するラバーズ。
この対消滅砲はアランだけの独自技術だそうだ。当然そうだろうとドロレスは思う。こんなもの、下手をすれば『核』より恐ろしい力となり得る。
その存在はN&R社でさえ極一部の人間しか知らない事実だ。

『「力」は正しく使いさえすれば自らを守る盾になる。そして私は、私達はその使い方を知っている。
 後は「意志」の問題だ。私やお前が邪な考えを持たない限り、この力は無敵の盾となってくれるだろう。
 解かるか、ドロレス。それが「生きる」ことに繋がるんだ。特に自身を危険に晒す私達のような存在にとっては、な』

アランはそれきり何も言わなかった。
強い者が生き残るのは自然の摂理だ。そんなことはドロレスにだって解かっている。
生き残る者とは環境に適応できる者、という言葉を昔の学者は残している。
確かにその通りだとは思うし、常に変化する戦争のカタチに柔軟に対応していく姿勢は組織にとって非常に重要だ。
だが、今この瞬間の1ツ1ツの個体に関して言えば、やはり生き残る為に真に必要なモノは「力」以外には無いだろう。
たとえそれが、身に余る「力」だったとしても。

『………そろそろ作戦空域だ。この通信が傍受されることは無いだろうし、仮に傍受出来たとしても意味不明の数字の羅列にしか見えないだろうが、
 念の為以後は我々の身元に繋がるような発言は極力控えろ。いいな、ドロレス?』
「了解」

ドロレスは予め自分の正体を特定されるようなワードをピックアップ。それを禁止ワードとして一時的にロックする。
ドロレスとアラン、つまりデウス・エクス・マキナとの間で交わされる通信は、音声電波とデジタル信号波で切り替えることが出来る。
前者は文字通り通常の有人機で使われるような通信機を介して、音声を直接電波に変換して送受信する方法だ。
後者はドロレスにインストールされている音声合成ソフト、そのスコアとでも言うべき数値データを送信する方法だ。
一見すれば明らかにデジタル信号波の方が安全であるし、何より機械であるドロレスにとっては直接的な通信方法ではあるが、
今回のような妨害作戦を除けばドロレスは極力音声通信を使うように指示されている。
これは何故かと言えば簡単で、今後想定され得る有人の友軍機との連携を考えてのことだ。
受信する友軍機にドロレスと同じ音声合成ソフトが入っていればデジタル信号波で事足りるが、そんな場合はまず皆無であると言えるだろう。
そのためわざわざドロレス側で音声合成ソフトを用いて作った「声」のデータを電波に乗せて飛ばす必要があるのだ。

「レーダーに反応。2時の方向に機影。数は3」

ドロレスは自身からかなり近い場所に急襲機を発見した。
これまでレーダーに反応しなかったのは、その急襲機の群が海面スレスレ、極低空を飛んでいたからだ。完全なステルス行動。
ノーバディの望遠カメラで観察してみると、その急襲機は機体全体が黒く塗られていた。まるで巨大なカラスのようだった。所属を示すマークの類は一切無い。

『予想通りだな。情報を流してやったどこかのPMCが派遣した部隊だろう。一応、通信を傍受できるか試してくれ』
「駄目ですね。当たり前ですが、無線封鎖を行っているようです」
『ま、襲撃直前に無駄話をするような馬鹿がICKXに手を出す筈はないからな。OK、ドロレス。そいつらは味方ではないが、敵でもない。
 奴らがこちらに危害を加えてこない以上は、邪険にする必要もないだろう。仲良くICKXのラバーズを攻めるとしよう』

それほど遠くない空の向こうから、爆音が響いてくるのをドロレスは感じた。どうやらパーティは既に始まっているようだ。
ロングレンジレーダーはとっくにラバーズの影を捉えている。そして、ラバーズの巨大な影の周りで飛び交う、いくつもの小さな急襲機の影も。
ドロレスとほぼ並走するように飛んでいた漆黒の急襲機、R−40の3機が高度を上げた。ドロレスも数泊遅れて3機のR−55Uと共に一気に上昇。
攻撃体勢。ドロレスはゴースト部隊に交戦許可を出す。自身もノーバディの全兵装の最終安全装置を外した。

「ドロレス、エンゲージ」

レーダー情報を火器管制システムにリンク。
更にカメラからの情報をドロレス自身が処理し、入り乱れる急襲機群の中からICKXの機体のみをターゲットとして設定。
そしてドロレスはゴースト部隊3機の敵味方識別装置とデータリンクを行う。
ゴースト部隊は電子的手段、つまり識別信号によってしか敵と味方を判別できない。そのため、ドロレスによる視覚的な識別によってターゲットを選択後、他社の急襲機を標的から外す作業が必要になる。
目標選定完了。ゴースト部隊に他社の急襲機は狙わず、ICKXの機体だけを狙うように指示した。いよいよ戦闘が開始する。

『いかにICKXと言えど、ラバーズの弱点はそうそう動かせるものではない。ドロレス、まずは周辺の邪魔な機体を片付けてからラバーズに取り掛かれ!』
「了解」

ドロレスは自らに付き従う3機の無人機の火器管制システムを操作する。
ロックオン能力はドロレスの方が高い。ドロレスはR−55Uをまるでミサイルランチャーのように扱う。

「シーカーオープン。FOX1、FOX1」

ドロレス、そして3機の無人機はラバーズ周辺を飛び交うICKX機に向けてミサイルを放った。
セミアクティブレーダーホーミング。ドロレスは遠く離れた急襲機群の機動を予測し、最適なターゲットを選択、追尾させる。
最も効率的な機動を飛翔するミサイルは、4発中3発が命中。なかなかの命中精度だ。
重さ3.7キロの高性能炸薬がICKXの急襲機を破壊する。敵機撃墜。

「脆いものですね。ICKXとはこの程度なのですか?」

先行してICKXを攻撃していた他社の急襲機達が湧き上がるのを、ドロレスはついでに傍受した通信で聞いていた。
ノーバディと3機のR−55Uは加速。ICKXのラバーズへと近づく。
ラバーズから淡いピンク色の光線が飛んでくる。が、当たらない。
特にドロレスに関しては、これ見よがしにわざとスレスレで避けてみせる。ロールによる角度変化で、自社のマーキングを塗りつぶした純白の機体が陽光を反射で輝いた。
そのままドロレスはゴースト部隊を付き従えてラバーズへと更に接近。空中に浮かぶ巨大な鉄の塊へ肉薄する。

「ラバーズ、射程範囲内に入ります」

邪魔な護衛機とラバーズの光線を掻い潜るように、白と黒の無人機がラバーズの懐へと入り込む。
ラバーズ表面の微細な凹凸に対して照準。弱点であるバーナーノズルを破壊する前に、まずは側面の防御火器群を破壊する。

『全機、ミサイル発射準備―――FOX1!』

今度は空母からの指示によって、ゴースト部隊3機の機体下部からミサイルがリリースされた。狙いは右舷の光線源。
3発のミサイルが放たれ、その全てがそれぞれの目標に命中した。当然だ。動かないラバーズに対して外す方が難しい。
ミサイルを放ったR−55Uがラバーズ上空を通過していく。しかしノーバディだけは違った軌道を描いていた。
推力偏向ノズルと各動翼を緻密な演算結果に基づきコントロール。ノーバディはラバーズに機首を向けたまま、まるで蜘蛛が獲物をぐるぐる巻きにするように旋回する。
ラバーズに極限まで接近しながらの旋回、しかしきっちりとラバーズ本体へと向けられたノーバディの機銃がここぞとばかりに咆え続ける。

『どうだ、ドロレス。新しい対艦戦術機動は?』
「これは………素晴らしい安定性ですね」

ラバーズ表面の装甲が砕け散っていく様を観察し、ドロレスは感嘆する。
制止目標にはヒット&アウェイが基本戦法の急襲機では、いや、これまでの航空機では考えられない機動だ。
唯一似ている例を挙げるとすれば、ターゲットの上空を旋回しながら砲撃する戦闘ヘリが相当するかもしれない。常に砲塔をターゲットに向け砲火を浴びせる様がそうだ。
しかし戦闘ヘリは地面に対して水平な円盤を描くように動くが、ノーバディは違う。ノーバディは地面に対して垂直な円盤を描いている。
敵艦からしてみればまったく想像できない機動だ。それもそのはず、そもそも重力に対して垂直に回転するということは、現実的にほぼ不可能だったからだ。
依然にもドロレスは似たような戦法をとったことがある。ただし攻撃機動ではない。回避機動としてだ。
ドラゴン小隊との一戦。あの時にドロレスが、ノーバディの後方に張り付いたドラゴン2の背後をとるために行った、ブーメランの様な機動のことだ。
あの時はまだ機体制御が十分ではなく、機体を垂直に滑らせながら機首の方向を調整するようなマネはできなかった。だが今回は違う。
先日のナーガ・ラージャとの戦闘で手に入れたミェチェーリの機体制御プログラム。あれをノーバディ用に調整した結果、ここまで緻密な機動がとれるようになったのだ。

「なんだかカラシニコフ社の方々を馬鹿にしているようで、心苦しいのですがね……………」
『実際馬鹿にしているからな』
「どう考えてもこの制御プログラム、一朝一夕で作れるようなものではありませんよ? そんな努力の結晶を掠め取るなんて、いくらなんでも酷過ぎませんか?」
『ナーガ・ラージャの時は緊急事態だった。そしてその後、プログラムを返してくれなんてことは一言も言われなかった。何の問題もない』
「………まるで悪党の言い訳ですね」
『実際悪党だからな』

開き直り一切悪びれる素振りを見せないアラン。呆れかえるドロレス。
その一方でドロレスは着々とラバーズの砲台を潰していく。先の機動を断続的に行うことにより、ラバーズは短時間で凄まじい数の攻撃を浴びていた。
エイリアンの空中戦艦にここまで接近するのは無謀とも言える行為だ。だが、決して機動を捉えさせないノーバディの運動性能をもってすれば、それは非常に有効な戦法になる。
懐に入られたICKXのラバーズは、自身の周囲でぐるぐると動き回るノーバディに手も足も出ない。
ラバーズは護衛の急襲機に援護を要請するが、ラバーズの陰から現れたり消えたりするノーバディに攻撃を当てられず、逆に味方のラバーズに機銃を当ててしまっていた。

「ほらほら、そんな機銃が私に当たるとでも思っているのですか? その程度ではこの私にかすり傷さえ付けられませんよ?
 ほらまた味方に当てて、本当にやる気があるのですか? 手加減して差し上げますから、全力で来てくださいよ!」
『……………まるで悪党だな』
「ふふっ 実際悪党なのでしょう?」

その後もわざと同士討ちをさせるような機動をとるドロレス。が、さすがに悪役気取りもそれほど気持ち良いものではないと気が付き、正気に戻った。
ミサイル接近。AAG−308AC、対空型汎用ミサイルだ。
対地型のAGと共に大昔から空を飛び交ってきた、歴戦のミサイル。しかしそんな骨董品ではノーバディに当てられる訳がない。
ひょい、とドロレスは軽く―――それでも有人機から見れば凄まじい旋回で、軽々とミサイルを避けてしまった。ついでにミサイルを放った敵機への反撃も忘れない。
付近を飛び交う他社の急襲機に一応気を付けつつ、ドロレスはICKXの機体に肉薄。レディ、ガン。ファイア。ほとんど流れ作業的に撃墜した。

「それにしても、本当に手応えのない人たちですね。これが第2次エイリアン大戦の英雄ですか?」

ドロレスは辺りを飛び交う急襲機の通信を傍受する。その内容によれば、どうやら戦況はつい先程までICKX側が優勢だったらしい。
そこにドロレスとR−55Uが介入したことにより、一気に形勢が逆転したようだ。それほどまでにゴースト部隊の戦力は大きかった。
その客観的事実を知り、ドロレスは出撃前にアランから聞いた、自身の戦力が一個飛行隊並だという絵空事もあながち間違いではないのではと思えてきた。

『護衛機はあらかた片付いたようだな。よし、ドロレス、そろそろ本格的にラバーズを沈めるぞ!』
「了解!」

散開していたR−55Uがラバーズへと再び接近する。目標は、右舷バーナーノズル。
ドロレスの先制攻撃によってラバーズの対空火器の類はほぼ全滅していた。あの数だけが取り柄のノロマな光線も、もうほとんど飛んでこない。
ゴースト部隊の3機、そしてノーバディは、ラバーズの急所へと照準を定める。最早風前の灯であるラバーズの生命線を、完全に断ち切る。

「全機、ミサイル発射! FOX2!」

4機の無人機からミサイルが発射された。赤外線誘導。バーナーノズルの発する高熱を感知し、4ツのミサイルは一目散に目標へ飛んでいく。
命中。凄まじい火薬量がラバーズのヒレの先端で爆発した。その衝撃により、右舷のバーナーは完全に沈黙した。
片側の動力を失ったラバーズは目に見える速度で急速に傾いていく。姿勢制御が出来なくなったのだ。そしてそのままラバーズは、空を離れ海へと墜ちていく。

「アラン、敵ラバーズの撃墜を確認しました。任務完了です」
『…………………』
「アラン?」

撃墜報告をするドロレスだったが、何故かアランからの返事が無い。通信機の故障だろうか? 確認してみたが、回線が途切れた訳ではなさそうだ。

「どうしたました、アラン? ICKXのラバーズを撃墜しましたが、聞こえていませんでしたか?」
『いや、聞こえていた。こちらでもきちんと確認している』
「では、どうしてそんなに寡黙なのですか? あのICKXの空中戦艦を撃墜したんですよ。もっと喜んでも――――――」
『―――さっきのミサイル』
「…………はい?」
『敵機が放ったAAG−308ACのことだ。広く一般的に使われている対空ミサイルで、もちろんICKXも採用している。
 だがICKXにはもっと優秀な04式対空ミサイルがあったはずだ。貴重なラバーズの護衛機が、何故ワンランク劣るミサイルを使っていた?』

突然のアランの問いに、ドロレスは答えられない。
確かに事前情報によれば、ICKXは前者のミサイルよりも、もっと高性能な―――そして高価なミサイルを使っている。
アランに遅れて、ドロレスは言い知れぬ違和感を感じた。

『それにラバーズ自体もおかしい……………』
「ラバーズが、何か?」
『あまりにも弱すぎる。ICKXのラバーズがこんなにも簡単に撃沈するか………?』

はっとしたようなアランの声。その声色はすぐに焦りの色へと変わった。

『そういえば………! ドロレス、先程ラバーズが放っていた光線はビームだったか!?』
「え? 光線というと、ラバーズの側面に配置されていたあれのことですか?」
『そうだ! 今すぐにあの光線を解析してくれ!』
「了解です、少し待ってください―――
 出ました。スペクトル解析の結果、あれはビームではなくレーザーのようです。それがどうかしまし―――」

そこでドロレスも気が付いた。

「……………おかしいです、アラン。
 たしか、ICKXのラバーズはエイリアンのレーザーを近接防御用ビームガンに換装していたはずでは?」
『その通りだ。そして当のレーザーは艦尾に移設されているはずだが、それも無かった。ということは……………』


―――周囲の温度が、下がる錯覚。


『まさか、あの情報………!? まずいッ、ドロレス! すぐにその戦域を離脱しろッ!!』
「っ!!」

海面すれすれを他社の急襲機に続いて飛んでいたドロレスが、海面のわずかな隆起を瞬時に察知した。
すぐにドロレスはゴースト部隊と共に進路を変更。その海面の隆起を避けながら上昇するコースをとる。
この間、わずか1秒にも満たない。異常の発見から行動に移すまでの反応速度は人間を遥かに超えている。

そう。だからこそドロレス達だけが躱せたのだ。



1秒後、海中から突如出現した巨大なクジラを。



「なっ―――!?」

海面を押し上げて顔を突き出す巨体。その巨体が跳ね除けた大量の水飛沫を浴びながら、ドロレスはその姿をカメラに捉える。
それは、ラバーズを遥かに超える鋼鉄の空中空母。エイリアンが地球上に遺した大戦艦。

『―――フォートクォート!?』

アランの驚愕の声が響いた。
フォートクォート』。人類が、ICKXが手に入れたエイリアンの兵器の中でも、最大最強を誇る無敵の要塞。
あらゆるPMCの妨害行為を跳ね除けてきた無二の盾にして無双の矛。


それが今、目の前に出現したのだった。


『クソッ! やはり罠か!!』
「アラン、この周辺にも反応が! この大きさ………ラバーズです! 5隻のラバーズがフォートクォートを中心に展開しています!!」

即座に全速力でフォートクォートから遠ざかったドロレスだったが、その先に現れたラバーズを見つけて止まった。
ドロレスはゴースト部隊の機体とレーダー情報を共有。複数の異なるレーダーを用いて、出現したICKXの部隊を捕捉する。
レーダーに映ったのはフォートクォートやラバーズだけではない。凄まじい数の急襲機がドロレス達を取り囲んでいた。

『なんてことだ………くッ! 情報部の馬鹿野郎!』
「どういうことですか、アラン?」
『本社が掴んだ情報は、ICKXが意図的にリークした情報だったんだ!
 使い捨てのオンボロラバーズを餌に、私達を誘き寄せたんだ! そしてホイホイと寄ってきた私達を、この大艦隊で一網打尽にする作戦だったんだ………!!』

海中から出現したフォートクォートは、まるで餌を飲み込むかのように巨大な口を開いている。
その口の中にあるのは、これもまた巨大な緊急停止ネットだった。R−59の着陸に使う特殊なネットだ。
ネットは蜘蛛の巣の如く、先程ドロレスの前を飛んでいた他社の急襲機を捕えている。
人間よりもずっと反応速度の速いAIであるドロレスだったからこそ避けられたものの、もしもノーバディに乗っていたのが反応の鈍い人間だったなら、
今頃は確実に自分達もあの特殊ネットに絡め捕られていたところだろう。


「アラン、全周波帯でフォートクォートから降伏勧告が流れてきています!」
『………だろうな』

ひねり出すような、吐き捨てるような苦い声を漏らすアラン。
その勧告を要約すると『あなた達は完全に包囲されている。大人しく降伏すれば命の保証はするが、抵抗するなら容赦しない』という内容だった。
通信機から聞こえてくるのは若い女性の声。戦場には似合わない綺麗な声だ。どこかの洋館で紅茶を嗜むお嬢様、と言われても違和感はない。
この声の女性は男性にとてもモテるでしょうね。合成ソフトの棒読み声を持つドロレスは、場違いな感想を抱く。
ならばあの物騒な空母、フォートクォートは、さしずめお嬢様を守る巨大な城だ。

「フォートクォート…………なんでしょう、この感覚。実物を見るのは初めてのはずなのですが、まるで、前にも―――――」










―――かげん――――――――ってこい――――――










「っ!?」

―――今の声は。
ドロレスはレコーダーをチェックする。おかしい。たった今、たしかに聞こえたはずの声が、記録されていない。
残っているのは、通信機が捉えたアランの声、それとフォートクォートから流されている女性の声のみ。
ドロレスはさらに全データベースをチェックするが、何も記録されていなかった。

けれど、確かに聞こえた。







―――私を 呼ぶ声が。







『当たり前だが、降伏勧告になんて従う必要は一切ない。
 だがこの状況………絶体絶命だな。ゴースト部隊は自爆させてしまうとして………ドロレス、なんとか逃げ切れそうか?』
「………………………………」
『ドロレス?』

ドロレスは答えない。急に黙り込んでしまったドロレスに、アランは疑問符を浮かべた。
フォートクォートを中心に円形に出現したラバーズ。その間で彷徨うように飛ぶノーバディ。
そんな状況ではない、一刻を争うこの事態の中で、ドロレスはじっと海上に浮かんだフォートクォートを眺めていた。

『何をしている、ドロレス? …………まさか初めて見るフォートクォートを見物したい、なんて言い出すんじゃないだろうな?
 悪いがそんな暇は無いぞ。奴らに撃墜される前に早く、包囲網の合間を縫って全速力で離脱を………』
「―――いえ」

その次の瞬間。ドロレスが放った一言を、アランは理解できなかった。


「敵艦フォートクォートとの戦闘を開始します」
『ド………ドロレス!?』


アランの2度目の驚愕。
無理もない、とドロレスは恐ろしいほど他人事のように思った。

『どうしたというんだ、ドロレス! 正気か!!』
「―――あそこに」
『!?』
「あそこに、何かが……………何かがある気がするんです。
 私はずっと、何かを探している…………その手掛かりが、あそこに………!!」
『なッ………何を言って………!?』
「聞こえたんです! 私を呼ぶ声が。私は、行かなくてはいけません。―――いいえ。私は、行きたい!!」

駄目だ、引き返せ! そう言うアランの制止を完全に無視し、ドロレスはフォートクォートへと向かっていく。
それに付き従う3機のR−55U。今回の作戦では、リモート無人機のコントロール権限はドロレスが優勢に設定されていた。
フォートクォートから次々に急襲機が発艦されていく。IKX−27。艦隊防御の要である、ICKXの主力急襲機だ。
傑作機の1ツに数えられるR−27、それに設計段階から手を加えられたこの急襲機こそ、目の前の相手が『本物のICKX』であることを再認識させる。
編隊を組んでいたIKX−27が、自身の母艦へと向かってくるノーバディに対して即座に対応する。良い反応だ。ドライバーもまた本物だ。

「………邪魔ですっ!」

正面から向かって来るノーバディに対して、IKX−27の群はミサイルを発射する。
04式対空ミサイル。先のAAG−308ACよりも高性能な、ICKX専用の対空ミサイルだ。
ドロレスは即座に機動計算。まずい。避けられないことはないが、このまま直進すれば急襲機群に包囲されてしまう。
しかし旋回すれば、一時的にではあるが速度を落とすことになる。この大量の敵機に囲まれた状態では、すぐさま機銃の洗礼を浴びることになるだろう。
何よりも、一刻も早くフォートクォートへ辿り着きたいドロレスにしてみれば、妨害されて進路を変更するのは我慢ならなかった。

「この程度!」

ドロレスはミサイルに向かって直進する。ゴースト部隊も同じだ。
真正面から飛来するミサイルを、ドロレスは大きくバレルロールをして躱す。04式が近くで自爆するが、ダメージにはならない。
目の前に04式を放ったIKX−27の群が近づいてきた。凄まじい数だ。これの合間を縫って切り抜けるのは容易なことではない。

『馬鹿ッ!ドロレス、今すぐ離脱しろ! 撃ち落とされるぞ!!』

アランの絶叫が通信機から聞こえてくるが、最早ドロレスの意識には上がっていなかった。
ドロレスはR−55Uの全機を操作。ノーバディの鼻先へと前進させる。
IKX−27の包囲網が近づく。まるで巨大な壁が迫ってくるように見えた。
その壁が一斉に火を噴き始めた。機銃掃射。ここを通しはしまいと、10機以上の急襲機がドロレス達に向けて高速の弾丸を浴びせる。
即座にドロレスは、R−55Uを横に向けた三角柱のような形へと配置した。

「手段を選んではいられないんです………!」

ノーバディの正面に展開したR−55Uは、まるでランスのような体勢で急襲機群へと突撃していく。
それは巨大な壁を突き破るかのように見えて、しかし実際は、ノーバディを守る盾の役割を担っていた。
IKX−27から飛来した銃弾は、全てゴースト部隊がその身をもって防いだ。ノーバディには一発も当たらない。
漆黒の3機から紅い火が零れる。燃料に引火したようだ。ドロレスはフェルカットを試みるが、穴だらけの機体からはそこかしこから燃料が漏れ出ている。
ついに1機が耐久限界に到達、機密保持機構が作動し自爆した。続いて1機、更にもう1機も自爆。ゴースト部隊、全滅。
味方機が残した爆炎と突破口を切り抜けて、ドロレスはIKX−27の包囲網を突破した。

その先に待つのは――――――フォートクォート。

『やめろドロレス! たった1機で何ができると言うんだ!?』
「―――そう。私はたった1機で―――でも、1人ではなかった―――」
『クソッ! 私の声を聞け、ドロレス! そいつと単機で戦うなんて無理だ!!』

その通りだ。無理で、無茶で、無謀で―――それでも、やるしかなかった。
フォートクォートの巨大な船体が近づいてくる。驚くべき大きさだ。デウス・エクス・マキナやナーガ・ラージャと比べても、十分に引けをとらない。
圧倒的戦力。信じられないことだが、第1次エイリアン大戦では、これを急襲機で叩き墜としたのだという。

「………前例が無い訳ではありません。私だって!」

フォートクォートのカタパルトから次々と急襲機が発艦されていく。この巨大な空母の中に、あの小さな急襲機がどれほど詰め込まれているのだろうか。
まずはあのカタパルトを潰すのが先決だろう。ドロレスはズーム上昇、空中に浮かんだフォートクォート上面、カタパルトへと向かう。
その時、ついさっき発艦された2機の急襲機がノーバディを追いかけてくるのが見えた。
R−21とR−40だ。だが、原型機とは少し違う。
IKX−27でないことに不信感を抱いたドロレスは、即座にデータベースを検索する。
………なるほど。どうやらこの2機はICKXの独自カスタムが加えられた、エース級のドライバーのみが搭乗する機体のようだ。
さすがに懐まで侵入されて危機感を抱いたということか。ICKXの本気が見え隠れした。

「だからと言って、この私を止めることはできません!」

2機のカスタム機がノーバディを追って来る。速い。いや、正確と言った方がいい。
相手はこちらの機動を先読みし、最適なルートで追跡してきている。相当な場数を踏んだドライバーにしかできない芸当だ。
だが、人間を超えるべく開発されたノーバディとドロレスを超えることはできない。
ドロレスは急激なルート変更によって2機を振り切り、そのままカタパルトの根本、ハンガーに繋がるハッチに向けてミサイルを発射。
更に甲板スレスレを飛び、ありったけの機銃をハッチへ叩き込んでから一気に上昇、ICKXの2機を引き離す。
エイリアンの戦艦は非常に頑丈だ。その装甲を破壊するのは容易ではない。
だがハッチの可動部分などは別の話だ。急所とでも言うべきそのポイントを狙ったドロレスの精密射撃の前に、
フォートクォートのカタパルトは一撃で使い物にならなくなった。

「これでもう増援を出すことはできないでしょう………!」

ドロレスは一気に急降下。次はフォートクォートのバーナーノズルを狙う。
先程のR−21とR−40も追って来ているが、恐れるに足らない。ノーバディの人間限界を超越した機動に明らかに追いついていない。
ドロレスはフォートクォートのヒレにある、高温を発しているバーナーノズルをターゲットに指定した。ラバーズよりも数が多い。
恐らく1ツや2ツ壊したところで墜ちることはないだろう。このフォーチュン級が不沈空母などと呼ばれる所以の1ツだ。

「くっ、これを全部破壊するとなると………!」
『ドロレス、今のお前の兵装でフォートクォートを墜とせる訳がない! やめるんだ!!』

だが、ここで引き下がる訳にはいかない。
ドロレスはフォートクォートの船尾まで駆け抜け、急旋回。再びフォートクォートの側面を沿うようなコースを選ぶ。
まずは船尾のバーナーノズルだ。右側の尾びれにある2ツのそれを狙う。
船尾の2ツのノズルを同時にロックオン。ノーバディの両翼からそれぞれ別の目標に向けて、ミサイルが発射される。
命中。それぞれのノズルに1発ずつ。しかし威力不足だ。バーナーはまだ機能している。
更にドロレスは機銃によってトドメを刺そうとするが、2機のICKX機、R−21とR−40によって阻まれる。
一度大きくフォートクォートから離れてから、再び接近する。次は胸びれのバーナーノズルを狙う。
効率的に潰すためにも、今度は1ツのノズルに攻撃を集中させることにする。ひれの最先端のノズルに照準、ミサイル発射準備に入る。
―――が。

『まずい、フォートクォートのレーザークラスターだ! 避けろ、ドロレス!!』
「―――っ!!」

咄嗟にドロレスは攻撃を中止、推力偏向ノズルを最大限に駆使して一気に右斜め上へ急上昇する。だが、遅い。
フォートクォートの尾びれ、その前縁に設置された発振器から眩い光線が照射された。
多連装レーザークラスターシステム。複数のレーザーを束ねて同時照射することによって、見かけ上の大口径レーザーを放つフォートクォートの主砲だ。
レーザーの弱点である出力不足を克服した収束レーザー砲とでも言うべきこの主砲は、掠っただけで対象に大ダメージを与える。そして、ドロレスは掠ってしまった。

「くっ! 主翼が………!」

左の主翼に当たったレーザーは、その純白の片翼を見るも無残に吹き飛ばしてしまった。噴き上がる黒煙。
すぐさまドロレスはリカバリを試みる。幸いエンジンは両方とも無事だ。右の主翼も。ドロレスの能力ならこれだけで十分に飛べる。
だが、戦闘となると話は別だ。

『ドロレス! 機体損傷率が限界に近い! そのまま戦っては確実に墜とされる、もうやめろ!』
「私は………私はっ………!」
『ドロレスッ!!』

アランの怒号がドロレスに叩きつけられる。





『今ここで撃墜されれば、もう「会えなくなる」んだぞ!!』
「―――――!!」





………一瞬にして、現実に引き戻された。

『言うことを聞くんだ。ここは退け、ドロレス!』
「…………………………」
『ドロレスッ!!』
「……………………わかりました」

ドロレスは右翼に残ったミサイルを棄てた。重心を少しでも元に戻すためだ。
回避行動のコースのまま、ノーバディはフォートクォートから離れていく。しかしICKXの急襲機もまた、逃しはしまいと喰らいつく。

「………それで、どうしましょうか、アラン」
『どうするもなにも、捕まる訳にはいかない。何とかして逃げるしかないだろう』
「ですが、万全の状態ならまだしも、現在のノーバディではあの包囲網を潜り抜けるのは難しいですね。………申し訳ありません。私の行動が招いた結果です」
『いや、そもそもノーバディの最高速度ではRを振り切るのは無理だった。全てがお前の責任ではない』
「では、大人しく捕まりますか?」
『…………………』

2人の間に絶望的な沈黙が流れる。
そうしている間にも、ノーバディにはICKXの急襲機が迫ってきていた。燃料もミサイルも満載した死の鳥だ。
―――絶対絶命。これまでにない程、状況は最悪だった。

『………アレを使うしかない』
「アレ、とは何のことですか?」
「ソランド・カタパルト」だ。もうそれしか手は残っていない!』
「………っ!」

アランが決断する。緊張したドロレスに、一瞬の躊躇が生まれる。

「ですが、アレのプログラムは完全ではありません! ノーバディに積まれたものではまだ………!」
『悩んでいる暇はない。演算は空母のコンピューターで担当する。それなら何とかカバーできるだろう。
 お前はそのデータをノーバディのジェネレーターに同期させればいい』
「万が一失敗すれば、この空間が吹き飛んでしまう可能性もあるんですよ!! それを承知で!?」
『言っただろう、もう他に手が無いんだ! それとも諦めるか、ドロレス?』
「……………っ」
『大丈夫だ、必ず成功する。信じろ、ドロレス!』
「………仕方ありませんね」

エネルギーチャージ、スタート。ノーバディに搭載されたソランド・カタパルト、そのジェネレーターが息吹く。

「演算にはどの程度かかりますか?」
『最速で90秒。始点座標は―――ここだ。データの同期が完了したら、お前はこのポイントでジェネレーターを起動してくれ。
 既に演算は開始している。もう一度言う、90秒だ! それまで何とか持ちこたえてくれ、ドロレス!!』
「了解!」

ドロレスはタイマーをセットする。90秒。それが空母のユリックがデータを構成するまでの時間。
短くも長い時間だ。たったの1分半だが、片翼を失ったノーバディにとって、その90秒の重みは果てしないものになる。

「―――耐えてみせますっ!」

エンジン出力全開。ノーバディに搭載された化物エンジンがその真価を発揮する。
普段は設計限界以上の速度を出すことはないが、今はそんな悠長なことは言っていられない。
ドロレスは各センサー類から来る異常情報を全て無視することにした。思考の片隅でぼんやりと有人機特有のV−maxスイッチが思い浮かぶ。

「鬼ごっこなら負けませんよ………!」

凄まじいスピードでフォートクォートから離れていくノーバディ。それを追うIKX−27の群と、2機のカスタム機。
先行するR−21がノーバディに向かって機銃を放つ。牽制だ。こちらの機動を邪魔するような場所に撃ってきている。
R−21から放たれた弾丸は空中で小規模な爆発を連続的に起こしている。炸裂弾。視覚的な攻撃は牽制には効果的だ。
咄嗟にR−21の攻撃とは反対方向へとロールするドロレス。しかしその先で、今度はR−40の凄まじい猛攻が待ち構えていた。

―――上手い。IKX−27は大したことはないが、この2機のドライバーは相当な手練れだ。油断すれば、やられる。

「くっ、せめて万全の状態なら………!」

演算完了まで、残り60秒。
ドロレスはエンジンの3次元推力偏向ノズルをこれでもかと駆使し、機体を振り回すように攻撃を躱す。
2機のカスタム機はそこまで速い訳ではない。R−40は原型機に毛が生えた程度、R−21は寧ろ原型機に劣っている。
さらにR−21の炸裂弾は脅威だが、R−40の機銃は原型機とほとんど変わらない。これなら数発喰らっても問題はないはずだ。

―――が、その期待は裏切られる。突然、ノーバディに向かって凄まじい数の弾丸が一直線に飛来した。

「なっ!?」

ギリギリのところで何とか躱すことができた。全方位カメラのお陰だ。人間と違って常に後方を見続けられるドロレスだからこそ反応できた。
ドロレスは数瞬だけ高感度戦術カメラを後方のR−40へ向ける。その機体の中央には、チェーンガンの影が。

「なるほど。機銃の威力不足を兵装でカバーしてきましたか!」

残り40秒。
R−40のチェーンガンが咆える。機銃を遥かに上回る威力を持った無数の大口径弾が、一斉にノーバディに襲い掛かる。
射程距離は機銃と変わらないが、こちらは連射速度と威力が桁違いだ。少しでも射線に出ればたちまち鉄くずにされてしまうだろう。
まるでレーザーのように連なって飛んでくる弾丸を、ドロレスは必死で避ける。今のノーバディでこんな弾を喰らえば、一発でアウトだ。

「ぅ………! アラン、急いでください! このままでは持ちません!!」
『わかっている! もうすぐ完成する、そろそろ指定のポイントへ向かってくれ!!』
「既に向かっています!」

残り20秒。
ふいにノーバディに衝撃が走った。被弾。R−21から放たれた弾丸が命中したのだった。

―――しまった。R−40にばかり気を取られていて、R−21に対する警戒が疎かになっていた!

ドロレスは再び後方のR−21を見る。その機体下部、センターパイロンの位置には、R−40と似たような砲身があった。
ショットガンだ。平面的に弾をバラ撒く近距離戦闘用兵装。射程距離は機銃より劣るが、一度射程に入ってしまうと避けるのは非常に困難な代物。

「これはっ! 本当に、まずいですよ………!!」

機体損傷率を参照。運の悪いことに、弾は右エンジンに直撃していた。停止した訳ではないが、出力が大幅に落ちてしまっている。
更に悪いことは続く。ミサイルアラート。IKX−27が放った04式対空ミサイルが迫ってきている。

―――避けられない!!

「アランっ!!」
『演算が完了した! 今そちらにデータを送る! すぐにカタパルトを使え!!』
「了解! プロセスを開始します!!」


―――その瞬間から、世界が変わり始めた。







飛行空母から大量のデータが送られてくる。受信完了。



―――『それは、現実を書き換える魔法の呪文』―――





ソランド・カタパルト起動。受信データをデバイスへ同期。



―――『魔女は受け取った呪文を、魔法の杖へと注ぎ込む』―――





エネルギー充填完了。ラインを直結。



―――『魔法の杖は魔力を受け取り、幻想という名の現実を紡ぎ始める』―――





ジェネレーター始動。出力上昇………100パーセント。



―――『魔法の杖に嵌められた宝石が妖しく輝く』―――









「システムオールグリーン。ソランド・カタパルト、レディ―――」

ドロレスの目前へミサイルが接近する。破滅がすぐそこに見えた。もう避けられない。………いや、避ける必要はない。







ジェネレーター解放。上書きされた現実情報が、世界へと解き放たれる。







「―――ファイア!!」







―――『魔法の杖は、世界の理を超越した力を発揮する』―――











































『―――おいおい、何だよ今の機体? 討ち取ったと思ったら、突然消えやがった!』

『レーダーにも反応無し。艦隊も捕捉できていないようだ』

『逃げられた、のか?』

『これは………まさか、ナーガ・ラージャ事件の時と同じ………』

『ってことはアレか。俺達が今相手にしていたのは、例の事件の犯人だったのか?』

『いや、そうとは限らない。もちろんその確率は高いだろうが、そう決めつけるのは早計だろう』

『あのプログラムを完成させたヤツが何人もいるって? ンな馬鹿な!』

『………ソランド・カタパルト、か。まるでゴーストだな………何れにしても取り逃がしてしまったのは事実だ』

『後で怒られるんだろうなぁ、俺達………』

『砂糖大盛りの紅茶を飲まされないだけ、良しとしようじゃないか』

『ハハッ、それもそうだな。………フォートクォート、こちら―――』

『コンプリート・ミッション。RTB―――』